2015年3月16日月曜日

HOPE

今日の夜は、お茶の水まで、震災後の釜石、大槌を定点観測している「復興カメラ」の展示で、「かつじ展」@釜石でお世話になったNPOリアスさんの川原康信さんのトークを聞きに出かけた。

 先日も書いた通り、わたしは、震災との向き合い方として、自分は発信者である前に、まずは受信者としてどうあるべきかを、今後は考えていくことにしたのだ。受信者に徹することは、実は、発信していくよりも、忍耐と集中力が必要だと思う。だからこそ、それを自分に課してみたいと、表現にかかわった結果として思うようになった。

 この想いは、今回、川原さんのお話をうかがって(釜石でお会いしているのに、震災のことをお話したことがなかった。というよりも、地元ではまだ、話しにくいことがたくさんあるらしい)よりいっそう強くした。震災は、過去のもののように時間の彼方に行こうとしているものではなくて、いまなお、現在進行形として、現地の人々の問題を生み続けている。もちろん、元気だし、笑うことも忘れていない。でも、いまだ言えずに秘めていることも、沢山あるようだった。川原さんは、今後、ひとにネガティブなはなしをしたほうがいいのか、前向きな明るい話をしていけばいいのか、わからないという。そんなことには、気を使わないで、思いの丈を、世間にぶつけてみてくれてもいいのに。と、思う。それにしても、話したところで、かえらないものはかえらない。という、虚しさもおそらく、抱え続けているのだろうか。復興に向かうさなかにも、こころの問題はずっと残って、ますます大きくなっているらしい。ただ、川原さんは、こうして話すことで、ご自身のこころが少しすっきりしたことに最初おどろいた。と、言っていた。当事者以外の人間が、よき受信者となることの必要性がここにあるような気がした。

 これをきっかけに、受信アンテナをよりとがらせていこうと思う。じゃあ、どうするか、の答えはでないかもしれないけど、行動の指針にはなる。いろいろなイメージが乱立してしまったいまだからこそ、もう一度、こころをまっさらにして東北の声に耳をかたむけつづけるべきだとおもった。




そして、釜石から手紙が、みやさんとりゅうたさんから届きました。心のこもった文面にすっかりやられました。ありがとう〜〜!!

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