2017年1月31日火曜日

神さまの表裏

映画『沈黙』をみました。
 だいたい、映画はアップリンクかイメージフォーラムか、早稲田松竹でみているので。シネコンでみるなんて久しぶり。
 映画をみる楽しみのひとつは役者さんの演技を見ること。演技ってつくづく面白いなと思う。化けたり憑かれたり、でも、イタコとはちがう、ちゃんと正気で、表現で、それでここにいるはずないひとを出現させるわけで。それをどういうやり方で出現させているのか、というのは役者さんによってまったくちがうから、そこのところをみるのがたまらなく楽しい。とくにやっぱり、言語がわかる日本人のほうが、その微妙な表現方法まで読み取れるのでより楽しめる。
 
 それで、『沈黙』のなかで、わあ。っと思ったのは、主人公ロドリゴの妻となるひと。このひとが出てきたときに、画面が一気に「江戸」になったからだ。時代劇というくくりではなくて、そのときの空気や埃まで、時間をさかのぼってあらわれたかんじ。で、こんな女優さんみたことないなあ。って思って調べたら、黒沢あすかというひとで、塚本晋也の『六月の蛇』や、園子温の『冷たい熱帯魚』などに出ている。この二人の監督に気に入られているってだけで、なんかすごそう。実際『沈黙』での存在感もすごかった。監督がこの女優さんが好きなことがものすごく伝わってくる。そして、いい演技だったのだ。
 素敵なひとだあ。と一目惚れしたのでさっそく『冷たい熱帯魚』での黒沢あすかをみてびっくり。真逆や....
 まさに聖俗をひとつの体のなかにみごとに住まわせてしまう、それが女優なのね。女優って、女優って...
 『冷たい熱帯魚』はご飯前にはみないほうがいいです。グロがだめなので、そういう場面は目を覆っていましたよ。それでも、でんでんのキャスティングにスタンディングオベーションをしたい。

 それにしても、偶然にもこの二つの映画は、どこか表裏であるようにもみえるから不思議なのだった。

やけにイッセー尾形におそいかかる長崎の蠅たち

2017年1月25日水曜日

ディストピアからユートピアへ

気のせいでなければ、震災のあと、いわゆるディストピアを描いた創作というものが、ずいぶん世に出回ったように思う。

それだけ、あの震災はわたしたち震撼させ、それまでの安定した地盤の上にいきていることを想定して築かれていたにすぎない哲学や思想を根底からゆさぶり、いったいなにをどう信じて生きていけばよいのか、と、わたしたちを混乱のなかに投げ出してしまった。それでも、つかむべき光を見いだすためには、真の闇の底を知らなければならなかったということだろうか。多くの作家が、その底の深度を確かめるように、想像力を駆使した。その結果、多くの想像力がこの世の滅亡とは、どんなものかを、つきつけてきたのだ。

 先日、やや不定期に開催している友人達との読書会にて川上弘美の『大きな鳥にさらわれないよう』という小説を読んだ。遠い未来、人類が滅亡してから何千年もたってからの世界を描いた作品だ。人類の滅亡?全人類が最もおびえているその状況であるはずなのに、どこか柔らかな光につつまれたような世界が描かれていた。

人の世の全てに平穏が行き渡ることはとても難しい。
日々の瑣末な時間のなかに、断片としてしか、平穏は存在しない。そのことを私たちは、知っている。ユートピアもまた、ディストピアの細部にしか存在しないのかもしれない。ただ、そのほんの小さな平穏の領域を無理矢理にでも押し広げたい。

だから、たとえば胸が焼けつくような甘ったるい、ユートピアを描いてみたいとか思ったりする。ずっとずっと先でもいいから、平穏がすべてのひとを包みこむさまを思い描きながら。



2017年1月6日金曜日

こんにちは2017

2017年があけて、最初に買った本です。『くまのプーさん』のイギリス版からロバのイーヨーのおはなしです。。装幀がなんともかわいらしい。内容が子供向けでも、こんなふうに大人っぽいデザインの本に仕立てる。大事なことだと思います。

わたしの2017年の予定は、主に本の制作が中心になるとおもいます。まず最初はインディーズ出版からです....。3年ものあいだ、そのままになっていた企画にようやく手を付け始めました。展示は、それに付随したり、あとは今年の後半がおもにそうだったように、お誘いがあればどこへでも。という姿勢で臨むことになりそうです。いつでもスタンバイオッケーですので、展示のお誘いお待ちしております。4月に下北沢のHANAさんでのグループ展があり、6月に木曽でハンズボン映像展があります。ほかはまた随時、お知らせしていく予定です。

昨年末は、ある作家さんから来年一緒に本をつくりましょう。というお誘いがあり、一献傾けました。まさかの差し飲みだったので、かえって真面目な話が照れくさくできなかったのですが(もったいないことを!)、なんだかきっといい本が作れそうだという確信だけは残りました。こういう予感は結構あたります。

誰しもが、自分の内にあるものを、より深い言葉とイメージを発信して多くのひとに伝えたいとおもっているのだと思います。わたしは、この年になってもまだインディーズですが(それが楽しくもあり)。これからは、関わる人たちが増えていくにつれて、自分のなかの切実さも高まっていくのかもしれません。