2020年4月20日月曜日

eの問題と切り刻まれた夜

外出自粛の日々が続いています。
基本的に、いままでとほぼ変わらないのですが、北鎌倉のアトリエまでの電車通勤が、いままでと違って、どこかさみしいような、特に夜の鎌倉が真っ暗で怖いくらいです。

タゴールの詩集『迷い鳥(stray birds)』から、一片の詩を組版してみました。
活字はセットで買っているのですが、どうしてもaやeなどの活字は足りなくなります。tも結構使いますね...。たったこれだけの文ですが、eが一つ足りず!
一カ所だけ大文字となってしまいました。でも、タイポグラフィの美しさがあるので、デザインにみえてしまうのです(ほんとでしょか?)。
eの問題には今後も悩まされそうです。

タゴールの「stray birds」は、洋書をもっていて、ときどきぱらりとめくって読んだります。難しい単語は多くはないのですが、どうしても意味がよくわからないものなどあります。

今回レタープレスしたのは、この詩(散文なのでしょうか)です。
へたくそなんですが、訳してみました。なんか、へんですが...遊びなのでご容赦ください。


Sorrow is hushed into peace in my heart like the evening among the silent trees.

―哀しみは鎮まり、
静かな森にまぎれた夜のように
わたしのこころは安らいでいる。



それで、英語が得意ではない私は最初、
hushをhash(刻む)と勘違いし、その流れでpeaceをpiece(小片)と見間違え、
文法的にはおかしいのだけど、

―哀しみはこころの中で
木立の間の夜の破片のように
切り刻まれる。


??と、まったく違った景色を想像しました。
また、このばあい、あいまいなamong は使われないかもしれません。
もっとはっきりしたものを示す単語...なんだろう。

ただ、たくさんの木の枝が夜を切り刻んでいるようにみえる様子が、
こころのなかで哀しみというものを刻んでいく様子と重なるようで、
ちょっと面白いと思ってしまいました。







2020年4月13日月曜日

静かな日々

静かな日々が嫌いではないけれど、さすがにちょっと、大変な気がしてきました。
なにかに集中する気持ちって、遊びがあって初めて生まれるものなんですね。

横浜のベイエリアを散歩しても、普段の1%もひとがいないのです。
時間がゆっくりながれていくような、
なんだか、それは心地よくもあります。
大変なのか、心地いいのか、どっちなんだ...?

錯覚なのかもしれないけど、時間がある。ということで、牡蠣のオイル漬けをつくってみました。一週間待って、絶品おつまみができた! もう飲むよりほかない。

ひきつづき、日々はつづく。太りそう。





2020年4月3日金曜日

ストイックでスラップスティックな日々

 なんだか、あっという間に世の中の様相が変わっていった。どこか、特別な場所の特別な出来事でなくて、ここまで世界中のひとが当事者だったことって、いままであっただろうか。連帯感は...ないけど。そのうち生まれるかもしれない。世界中のひとが、ひとつの映画館でウィルスと戦う映画を見たあとみたいに。みんなが喜びあって、スタンディングオベーション 、ハグハグ。幕は降りる。しかし!全てが終わったかと安堵したその時....!ああ、違う、そういうのではなく...。とにかく、うつさないうつらない。しかない。
 
 日常が微妙にゆがんでいくさまは、まるでSF小説のようでもある。
とりわけ、ふざけた政府によるつらめの喜劇というのは、カート・ヴォネガットの小説世界じゃないですか(内容うろおぼえ。たしか、狂った双子のひとりが大統領になるんだった。再読したくなった)。と、愕然としている(そういえばA宰相は、吉本新喜劇に出ておふざけもなさってた)。わたしはこの数日で「愕然」という言葉を少なくとも3回は打ったと思う。ここまでひどいのは、もちろん小説にも漫画にもない。






 京都ギャラリー恵風での展示が終わりました。アートゾーン神楽岡のほうは4月5日まで。装丁の写真は、アートゾーン神楽岡に展示中の意匠替えした本、正津勉『ひとはなぜ山を詠うのか』。山岳詩人たちを中心に、山を詠うこころにせまっている。宮沢賢治は、人々のために経文を山に埋めてあるいたのだとか。人と祈りはいまより近かったのだろうか。

 実は、というかこの数ヶ月、沈みがちで、うつ気味とでもいうのか、こころがばらけたようになってしまっていて、作業がとても辛かった。そのなかで、なんとか京都の展示ができてよかった。こころがまずいかんじのなか、よくがんばったとおもう。やっぱりここがいいのだに。きっともう大丈夫。





 はなのスケッチは、鎌倉のアトリエの前に咲いていた花。はなだいこん、とか、むらさきはなな、とか、いろいろな名前があるみたい。ウィリアム・モリスみたいに、鎌倉の野草花を図案化してみたい。とちょっと思っている。そういうことを考えないと、この非日常をすり抜けるのは難しいみたい。気難しすぎてもつらいし、ふざけすぎてもいけない。すり抜けた先には一面の花模様...いいかも。

 予定していたことが、なかなかすすまないのは、時間よりも気持ちの問題にちがいない。ウイルスに気持ちまでやられてしまうなんて、なんだかしゃくである。
毎日のように、オッフェンバッハの「ジャクリーヌの涙」をきいている。
オッフェンバッハをいいとおもったのって、はじめて。






ギャラリー恵風 展示風景