2023年6月28日水曜日

絶望の赤色から

 先日行った世田谷美術館の「麻生三郎展」について、書き留めておこうと思う。

麻生三郎については、いままでにいくつもの作品をみていたはずだったのだけれど、なぜか私にはあまり刺さらなかった。私の眼にはなぜか、スタイリッシュな絵を描く画家にみえていた。おそらく私は、そこに描かれているものの、表層しか見てなかったのだと思う。

 麻生三郎の絵にはじめて、おや。と思ったのは、数年前に 東京国立近代美術館のコレクション展で「赤い空」を観た時だ。描かれたのは1956年、終戦から十年あまり。日本が「もはや戦後ではない」というスローガンとともに、高度成長期をむかえたころだ。物質的な豊かさというハリボテの目標に与えられ、日本中が敗戦という絶望にそろそろ別れを告げようとしていたころ。麻生三郎の「赤い空」には、希望の光がひとつもない。画家は未だ重い空に日々が覆われていることから眼をそらしてはいないことがよくわかる。この人はなんだかすごいな。と、その時思ったのだった。そして、麻生三郎が戦争というものをどう観ていたのか、それを絵を通して確かめたいと思っていたので、世田谷美術館の展覧会はとても楽しみだった。

 展示は、戦後すぐの妻や子供の絵からはじまる。

妻の顔は疲れていて眼には生気がないように思われる。ひきかえ、子供の眼差しには光が宿っている。それは、喜びや幸福感といった光ではなく、怒りのそれである。怒りの静かな焔が、子供の眼に宿っている。その筆致はとても誠実で素直である。画家としての気負いがまるでない。気負いのない絵のよさというものが、やっとこのごろわかってきたような気がしていたので、ああ、やっとこういう絵を理解することができるのだ。と思った。

子供の無垢な魂は大人がひたかくし、なかったことにしようとする悪意を見抜く。愚かな戦争というものに対して、怒りをもっている。怒れる子供の視線は、いまだと、奈良美智につながってたりするだろうか(勝手に繋げてみたい)。

 1950年代の作品は、ひたすらに赤い空に覆われている。60年代にさしかかるころ、強いマゼンダに少し白がまざりこみ、ほんのりと柔らかさが加わる。けれどそれは、安堵や幸福の柔らかさではなく、わたしにはさらに増した虚無感のように見えた。 おそらく世の中は、経済成長とコマーシャリズムで沸き立ち、騒がしかっただろう。そこに虚無をみていた人間が、どれくらいいたのだろう。

麻生三郎の絵は、同じような色、同じような筆致が続くのでなにかしらのルールの上で描かれているようにみえるのだが、こうしてゆっくりと変化していくさまを観ていると、画布の上で、冒険と破戒と、再生が、せわしなく、労を惜しむことなく繰り返されている。まるで生き物だ。

60年代には安保闘争によって亡くなった女学生に捧げた絵が描かれる。やはり絵は赤かったが、はじめて絵のなかに怒りの芯のようなものが現われていた。その後、ベトナム戦争を題材とし、自然な事象としての肉体と絵具の生み出す造形の 構造が、解体と融合を繰り返し、絶望と闇のなかで悶絶しながら再構築されていく。

絶望の赤から、虚無の赤、そして怒りの赤へ。闇と向き合うことをあきらめることはない。

そのさまをみていて、絵を描くことは、社会問題を題材としていても、やはりごく個人的な作業の連続であり、広く理解されたり、愛されたりすることは難しい。ただなによりもこうして、絵と対峙した誰かのなかに深く入り込んでいくものなのだと感じた。

 

以下、麻生三郎の言葉より

「その底に流れているものは、現実のかぎりない美しさ、恐れであり、強く絶えず引っかかるもの、言葉にならないものが存在していて、徹底で対決するしか方法がないので、現実を描くということになる。それは生存そのものだ」

 

 

 

    (写真internet museumより)

 



「溝上幾久子展」@Hasu no hana

ギャラリーHasu no hanaにおける個展が6月30日をもって終了となります。

詳細はこちらです。 

延長を含めると、6月いっぱいいっぱいの展示でした。

お運びいただきまして、ありがとうございました。

とくに『白鶴亮翅』の原画は、新聞連載を楽しみにしていたという方々(なんと毎日切り抜きされていたひとの多いこと。ちょっとびっくりしました。)とお会いできたことは嬉しかったです。

 展示はとても体力がいるので、だんだん少なくなっていますが、やはり実物をみていただけるのは、とても刺激になります。

年内の展示は、10月にwatermarkでのグループ展を予定しています。その他企画中のものもありますので、また、よろしくおねがいします。




2023年3月19日日曜日

生々しい二つの異国

 最近行った展覧会のうち印象的だったものがふたつあった。
 ひとつは千葉市美術館の「亜欧堂田善展」、もうひとつは東京都美術館の「エゴン・シーレ展」。    

亜欧堂田善は、知る人ぞ知る、銅版画の日本の創始者のひとり。 
 日本で はじめて銅版画を制作したことで有名なのは司馬江漢だが、田善はその司馬江漢に弟子入りを断られたにもかかわらず、独学でその技術をものにし、のちに司馬江漢から尊敬の言葉をうけとるまでになる。 
  その技術の高さから、実際には、亜欧堂田善のほうが日本の銅版画家の祖といえるのかもしれない。わたしも銅版画を制作するもののはしくれとして、興味津々の展覧会だった。

  田善には、銅版画をなんとしても作らねばならない理由があった。松平定信からの直接の命令だったのだ。松平定信は、銅版画を芸術としてではなく、藩のための印刷技術として、主に精巧な地図の制作のため、田善に研究開発を託した。 なんらかの経路で手に入れたオランダの銅版画を見た松平定信は、度肝を抜かれ、その技術を手に入れたいと強く思ったのだろう。 亜欧堂田善は、芸術的な憧憬の念から銅版画をはじめたのではなく、藩のために手に入れなければならない異国の技術として研究したのだった。 
 
  展覧会において田善の模写を観ながら、わたしはなにか不思議な違和感のなかにいた。木版画や岩絵の具とちがった、銅版画や油絵特有の空気感のようなもの。たしかにそれはあるのだけど、なにかがやけに生々しい。  
 江戸時代の日本人にとって、異国は憧れより以前にいびつで畏怖すべきものであったに違いない。美意識の介入がないまま模写された版画や油絵は、絵画と呼ぶにはあまりに所在ない。

  いまのわたしたちには、近代以降に育まれた西洋への特別な思いといったものがあるように思う。文化的な憧れだったり、それゆえに生まれてしまった劣等感だったり。けれど、少なくとも、驚嘆はあったとおもうが、異文化へ憧憬の想いが深まるためには、その出会いからもう少し熟成の時間を経なければならない。歴史に裏打ちされた「われわれの美意識」というものがこの世の最良であるとする狭小な視野のなかで、異国の文化は異物として主役である「われわれ」の背景にすぎなかったのだろう。 ヨーロッパ人からすれば、未知の、あるいは未開の国のものたちが、自国の美意識に誇りを持っているなどと思いも寄らないのかもしれないが、琳派、狩野派や浮世絵があれだけ研ぎすまされた美意識のもとに作られているのに対して、司馬江漢にしろ田善にしろ、技術がないからだけとはいいきれない、西洋文化に対するわからなさというものが、あのつたない、美しさとはほど遠い模写にあらわれているように思う。もちろん、技術的なものもあるとはおもうが、後の渡仏した画家たちの堂々としたさまにくらべると、あまりにも不安定である。
 その生々しさを私は面白いと感じた。日本の美術は主に伝承によって磨き上げられたものである。だからそこに個人の息づかいのようなものみつけることは難しい。けれど、形式張った美意識からはずれたあの模写には、まるで田善が目の前で画面に立ち向かって仕事をしているかのような時間を超えた息づかいが残っている。
ただわたしは、日本の、とか、国の、とか、そういった曖昧な共通意識についての知識も興味もあまりないので、そのころの人々が本当にどうおもっていたのかは、わからない。わたしがいいたいのは、かえって未消化のまま模された異国の絵が、観念的にではなく、感覚と感覚だけで受け渡されているのを目の当たりにした、愉快なこそばゆさについてであった。

 

 もうひとつの「生々しい異国」とは、エゴン・シーレからみた日本だ。
エゴン・シーレ展で、ある絵の前で思わず立ち止まる。先日の亜欧堂田善の模写を思い出したのだ。それが、この絵。美術館のキャプションでは、「クリムトの絵を模して」というようなことがかいてあったけれど、あきらかに日本の屏風絵を模したものだとおもう。金箔が貼られたためにできる格子状の模様を、筆致でなんとかあらわそうとしている。真ん中の植物も随分、デフォルメされているが、木を削ぎ落としたような表現もまた、東洋画の対象物をきゅっとフラットに描く表現に近づいている。おそらくエゴン・シーレは、クリムトの絵をみたのではなく、直接、日本の絵の写真をみたのだろう。ただ、ゴッホやマネが明らかにジャポニズムを意識して積極的に模していた絵よりも、どこか懐疑的で、さぐりながら、異物を自分のものに翻訳しようとしている。まだ咀嚼しきれず未消化のまま画布にあらわれた、やはりこれも生々しい異国なのだった。



 



2023年1月28日土曜日

理想の髑髏をさがして

 なぜか、年明けから、ちょっと髑髏を描いていた。
きっかけは些細なことだったが、なんとなく描いてみたものの、どうしても「メキシコ」になってしまう。
あのどこか、とぼけた、まったく怖くなくて親しみのあるガイコツになってしまうのだった。石膏像を描くと自分の顔に似てしまうというのがあったけど、ガイコツもしかり。 いや、どちらかというとガイコツは、誰が描いてもとぼけた感じにはなるのではないか。ガイコツの存在自体がそのような生者をあざけるような雰囲気をすでに纏ってしまっている。なんか、笑われているみたいな気がする。でもまあいっか、相手は死者で、しかも出来上がっているやつ、つまり骸骨なんだから。

理想の髑髏像はどういうものだ。と、ふと考える。
わたしとしてはいずれヴァニタスのような世界があらわれてほしい、などと思ったけれど、虚無やメメントモリとはほど遠い。ただ心からそれほどの、重さを求めているわけでもない。あざけ笑う骸骨も嫌いではない。

と、ぼんやり思っていたら、先日行った智積院の名宝展において、出会ってしまった。
理想の髑髏に。

それは大威徳明王図において、明王の首飾りと冠を飾っている髑髏たちだった。
とぼけているわけでもないが、したり顔(髑髏にそんな表情があるとして)に憂いを帯びているわけでもない。そのニュートラルな骸骨ぶりが、ずずっと胸にささった。

あとでネットでじっくり見よう。と思ったのだが、いくらぐぐっても、あの時展示でみた大威徳明王図は出てこない。
簡単に見ることができないというのも、理想として申し分ない。といえなくもない。

ちなみに、この図はそのとき響いたものとはまた違うのだ。
もう会えないのかしら。あのどくろたちに。












2023年1月12日木曜日

2023年もよろしくお願いいたします

 


 本年もどうぞよろしくお願いします。

 今年は版画以外の技法をつかった絵も描いていくことになりそうです。

  個展は5月〜6月 ごろに、挿絵の原画などを中心に開催予定です。

 近くなりましたらまたご案内します。

 週末の絵葉書屋はあいかわらずの不定期openですが、引き続きどうぞよろしくお願いします。 

1月は21日(土)、28日(土)があいております。

2022年11月8日火曜日

草活版印刷者

 もう何年も前から、活版印刷をかじっていて、少ない活字で作品をつくったりしていたのだけど、なんとなく自分がちゃんとした活版印刷の技術や設備を持っていないので、それで「活版印刷やってますよ」みたいなことは言えないなと、思っていた。
 印刷技術をもった方々の仕事が薄紙一枚のスペースの調整を行うようなミクロの世界だったので、自分はやるべきじゃないという気持ちになってしまっていた。

 けれどふと、野球だって....プロのように豪速球が投げられるわけじゃないけど、野球を楽しみたければ草野球という世界があるように、活版印刷を好きに楽しんでもいいのでは....?と思った。実際、わたしが使っているADANAという活版印刷機は、個人で楽しむためのものなのだ。いわば昔の家庭用プリンター。楽しくつかいこなしていこう。

 
 もし、印刷してほしい言葉のリクエストがありましたら、下記にメッセージを送ってください。詩片でも、グリーティングでも。固有名詞以外でしたら。



 

2022年9月23日金曜日

ヤンソン・サンドウィッチ

トーベ・ヤンソン・コレクションの再読。ヤンソンさんが続くと、わたしは結構メンタルきつくなっていくので、間にいろいろはさみむのだ。ヤンソン・サンドイッチ方式で読み進める..。

『誠実な詐欺師』は最初に読んだときと印象が違っていた。最初に読んだときは、ボートが少しずつできあがっていくところに、どこかわくわくするような感情を抱いていた。湖の光や、マッツの無垢な心など。どちらかというと穏やかな読後感だったのだ。

 再読して、カトリの目的のために徹底的に策略を練り、実行を遂行する隙のない性格と、アンナのおおらかなのか無神経なのかわからない隙だらけの性格、そのぶつかりあいは、結構、きつい話でもあった。人間関係のしんどさはいつもトーベ・ヤンソンの世界にはむきだしに現れる。あのムーミンの可愛らしさとは、ほど遠い。(ほんとうはムーミン谷だってそうなのに...。世界中の読者の偏見にふりまわされいらだつアンナは、どこかヤンソンの投影でもあるのだろうか)

 けれど、ふっと心がほぐれる瞬間がある。
 たとえば、カトリが弟のマッツに内緒でボートをボート職人に注文したとき、彼はまわりにそのことを内緒にすべく嘘をつく。そのときの、
「この嘘は、一目おく人間に贈りものをするのと同じくらいごく自然に、口をついたのだった」
 という表現。村の人々は、カトリを頼りつつも、アンナに対する詐欺まがいのふるまいに、冷たい視線を向けていて、彼もそのひとりでもあったのに、カトリの弟に対する愛情を知って、心がほぐれた様子がこの一文でわかる。なんだかほっとした。
 わたしはいつのまにか、カトリに心を寄り添わせようとしている。普通に考えたら、ちっとも好きになれない女の子のタイプのはずなのに。しかも犯罪まがいのことをしているのに。

 ふとなぜか、映画『万引き家族』を思い出した。どこにも似たところはないのだけど、あの映画の、あの家族は、世間の目から見れば、犯罪に手を染めたとんでもないやつら。なのだけど、それぞれの心のうちに隠し持つ、競争社会にはとうてい打ち勝てない弱者が同じ弱者にむける共感と優しさのようなもの。や、なんで、たくさん持っているひとと、持ってないひとがいて、持っているひとはそれを有効に使えもしないのに、使えるひとが勝手にそれをしようとすると、避難されるのだろう。そもそも、お金や経済システムは間違っているのでは?とまで思わせてしまうなにか。それがこの物語にもあった。

 カトリの犬もまた何かを象徴していた。従順にさせることで、犬が生きやすくさせているというカトリの気持ちを逆なでするように、アンナが犬に好きに遊ぶことを教えてしまった。そのため、犬は混乱し、野性のもののように遠吠えをするようになり、やがて森にかえってしまう。再読して、そこに物語の奥行きと深さを感じた。野性を愛し、そこに帰りたかったのは、本当はカトリだったのかもしれない。現代の生きにくい世界と徹底的に組みしようとする誠実なカトリだからこそ。などと、思ってしまった。