なぜか、年明けから、ちょっと髑髏を描いていた。
きっかけは些細なことだったが、なんとなく描いてみたものの、どうしても「メキシコ」になってしまう。
あのどこか、とぼけた、まったく怖くなくて親しみのあるガイコツになってしまうのだった。石膏像を描くと自分の顔に似てしまうというのがあったけど、ガイコツもしかり。 いや、どちらかというとガイコツは、誰が描いてもとぼけた感じにはなるのではないか。ガイコツの存在自体がそのような生者をあざけるような雰囲気をすでに纏ってしまっている。なんか、笑われているみたいな気がする。でもまあいっか、相手は死者で、しかも出来上がっているやつ、つまり骸骨なんだから。
きっかけは些細なことだったが、なんとなく描いてみたものの、どうしても「メキシコ」になってしまう。
あのどこか、とぼけた、まったく怖くなくて親しみのあるガイコツになってしまうのだった。石膏像を描くと自分の顔に似てしまうというのがあったけど、ガイコツもしかり。 いや、どちらかというとガイコツは、誰が描いてもとぼけた感じにはなるのではないか。ガイコツの存在自体がそのような生者をあざけるような雰囲気をすでに纏ってしまっている。なんか、笑われているみたいな気がする。でもまあいっか、相手は死者で、しかも出来上がっているやつ、つまり骸骨なんだから。
理想の髑髏像はどういうものだ。と、ふと考える。
わたしとしてはいずれヴァニタスのような世界があらわれてほしい、などと思ったけれど、虚無やメメントモリとはほど遠い。ただ心からそれほどの、重さを求めているわけでもない。あざけ笑う骸骨も嫌いではない。
わたしとしてはいずれヴァニタスのような世界があらわれてほしい、などと思ったけれど、虚無やメメントモリとはほど遠い。ただ心からそれほどの、重さを求めているわけでもない。あざけ笑う骸骨も嫌いではない。
と、ぼんやり思っていたら、先日行った智積院の名宝展において、出会ってしまった。
理想の髑髏に。
それは大威徳明王図において、明王の首飾りと冠を飾っている髑髏たちだった。
とぼけているわけでもないが、したり顔(髑髏にそんな表情があるとして)に憂いを帯びているわけでもない。そのニュートラルな骸骨ぶりが、ずずっと胸にささった。
あとでネットでじっくり見よう。と思ったのだが、いくらぐぐっても、あの時展示でみた大威徳明王図は出てこない。
簡単に見ることができないというのも、理想として申し分ない。といえなくもない。
ちなみに、この図はそのとき響いたものとはまた違うのだ。
もう会えないのかしら。あのどくろたちに。