2015年5月27日水曜日

白狐のはずが

まっ黒にみえますが、白インクで刷ってます。銅が研磨されてインクに溶けこんでしまうんですね。あしたもう一度やってみます。今日、タイトル文字でつかう活字がとどきました。うーん。やっぱりいいです。まったく時間がないけど......いい本になるといいなあ。



2015年5月26日火曜日

きつねもういっちょ

できたし、レイアウトもしたのですが、なんかもやもやして、もう一点、いちからつくりなおします〜。自分はごまかせないな。

2015年5月25日月曜日

かなしい気持ちのきつね

結構怖い顔になってしまいました!
画像はなしです。本ができたら載せます。
〆切をのばしてもらったのですが、予定どおりの〆切でまにあいそう。
これを納品したら、今度は、おおかみを。
そのために、銅板をまとめて注文した。ひさしぶりに。銅の価格はおちついたのかな。そんなに高い感じはなかった。しばらく、銅版画の仕事がつづきそう。楽しいなあ。

昨夜は、木場のギャラリーで、夏のハンズボン展の打ち合わせだった。
ボードヴィルとアニメーションで、きっと楽しくなると思います!

慢性的に時間がない。
子供のせいじゃないとおもうけど。







2015年5月20日水曜日

牙のあるものたち

同時にふたつの仕事を進行中なのですが、ひとつには、狐がでてきて、ひとつには、狼がでてくるのです。まず、狐から描いてみたのですが、狼にみえなくもなく......絵描きの手によって、勝手に交配されてしまいました。



2015年5月18日月曜日

美術手帖のwebpageで

美術手帖の情報サイトbitechoの月イチコラムにイラストを描いています。
今回は牡牛座。その星座生まれのアーティストをフューチャーしていく記事の扉部分です。
紙版画です。ライターは松崎未来さん。




2015年5月17日日曜日

読む喜び

次の装幀する本のゲラをやっと読み終わりました。ちょっと読んではしびれ.......付箋がいっぱい。いろんな啓示をもらってしまった。姜信子さんにコアなファンがいるのは、すごくよくわかります。ここには確かに読む喜びがありました。
ああ、あれもこれも、同時進行でできるのか。とにかく、がんばろう。ひとつの目標にむかって。



今日のお客さま

こんなかんじの模様の蝶が窓ガラスにとまってた。ちょっと珍しいのではないかしら。



2015年5月15日金曜日

薔薇の実

薔薇の実てそのまま食べられるのかしら。ぽってりとしてる。
片岡珠子展に行った。なんかもう、絵を浴びるかんじ。たっぷり浴びた。人物の手がすごかった。グローブみたいで。
ダイナミックな絵はいい。



2015年5月13日水曜日

ラヒリ4

ボツになったので、載せてみました。ほんとにこれくらい美女です。ジュンパ・ラヒリは。





ひとは祈りながら生きてきたのか

正確にいうなら、人は祈りながら、死んでいった。ということになるのかも。
歴史を振り返ってみれば、そこには語り継がれることで、物語のもとに不老不死を得た英雄達しか見えない。
不老不死は物語のなかにしか存在しないから、ひとは、物語を渇望するのかな。

2015年5月12日火曜日

五百羅漢の夢

まだ行ったことがないのですが、京都の石峰寺に行って若冲が住まいながら下絵を描いたという、五百羅漢像をみたいです。
遠野でたどりつけなかった、五百羅漢を京都でみる。というもやっとした計画。
いずれ、全国の五百羅漢像をたずね歩く。とかもいいかも。

ひとは祈って生きてきたのね。

伊藤若冲「石峰寺図」


目黒に五百羅漢寺なるものあり。
http://www.rakan.or.jp/

2015年5月9日土曜日

せつないさる

さるの目はいつも、なんだかとても哀しそうだ。

ひと以外の動物はわらわないから(ちょっとは笑っていることあるのかな)、目だけをみると、感情といったものはどこにもなくて、かといって、空洞というわけでもなく。しいていえば、せつない目をしている。遠藤周作の短編だったか。名前も忘れてしまったけれど、主人公が、動物園の猿に恋愛感情を抱かれる(妄想だったか)。というのがあって、それがどうしてかとても哀しい感情とともに記憶されている。

今日聞いたはなしにやけにざわっとして、確かめたくて、ある版画家さんの作品をひっぱりだしてみた。

やっぱりさるは、せつない目をしてた。

この版画家さんは、望月計男さん。鵜の木のギャラリーhasu no hanaで、ひとめぼれした展覧会。次回を楽しみにしていたら、80を目の前にして逝ってしまわれたそうです。
望月さんの画集は、hasu no hanaで予約販売しているそうです。わたしも買います!



2015年5月8日金曜日

画像memo2

不思議な絵ですねえ。
象の帽子がいいかんじ。

Cornelis Saftleven, 17th Century

2015年5月7日木曜日

2015年5月6日水曜日

ラヒリ3

なにやってるのかしら。こんなタイトルでいいのかしら。と、思いつつ。
やっと、ああ、似ている。ていうのが描けました。それは4なので、別のところでお目見えします。これもなかなかいいですが、ちょっと人形ぽいのでボツです。
しかし、ラヒリさんは、ただ美しいだけではなくて、滲み出る知性が描けてないと、似てきませんね。



ラヒリ2

うーん。美人て描くのむずかしいなあ。とくに、この方は、描きこんでいくと、男顔になってしまうのです。


2015年5月4日月曜日

空気を読まないわたしたち

作家が空気を読み始めたらおしまいだ。と、思う。
けれど、「なんかおもしろいことはねえがああ」と、渉猟することは、あるとおもう。
社会の中での文化には、流行というものがあるから。
いっぽうで、世の中の表層的な流行と無縁のものをひとは欲したりもする。

社会が多大なダメージを受けて、それによって、表現者たちがざわめく。
あるものは嘆きを、あるものは怒りを、あるものは祈りを、そこに込める。
わたしはどういうことが起きても、まずははげましを込めたい。

嘆きも祈りもはげましも、ひとの心を着地点としている。ひとの心に届くことができて、
はじめて、再生の芽吹きを待つ。

ただ、怒りは、その温度のままひとの心を着地点とすることができない。
だからこそなのか、怒りを持続していこうとする、作家もいる。

まわりは「もうそのことはいいじゃないか」って思っているかもしれない。
でも、怒りに、はやりすたりがあっていいのだろうか。と、思う。

おだやかな表現も、心地いいのだけれど、
まるで、空気を読むことなく、怒りをずっと持続していこうとすることも、
また、必要だと思う。いろんなものがなくては。
なぜならそれは、具体的な解決を模索するため深い考察をうながし、人為的な出口を見いだす力になる。
怒りの先に展開される現実がなんなのか、まだ、よくわからないけれども、
ひとが考えるのをやめたとしても、ずっと考え続けることが出来るのが、表現者の体力なのだろうとおもう。
いま、あるひとと「その先」を視覚化する試みをはじめている。

空気など、絶対に読んではいけない。

SAKHALIN ROCK OKI DUB AINU BAND

昨日の余韻。いままでOKIさんのライブは、OKI DUBしかいってないのだけど、トンコリだけの「サハリンロック」もめちゃめちゃかっこよかった.....。OKI DUB AINU BANDを添付してみよう。TさんがOKIさんにご挨拶してたの便乗して、思わず握手もしてもらった。ライブ後にミュージシャンに「握手してください」なんていうのは、はずかしいのでほとんどしたことないけど、過去をふりかえって、Abdullah Ibrahim(DollarBrand)をPIT INNで観たときだけ。ダラー・ブランドとOKI......!

どちらの手もとても大きくて暖かだった。




      

2015年5月3日日曜日

サハリンと馬喰町

GWですが、特にお出かけの予定もなく.....。と思っていたら、メールボックスにTさんから、「OKIさんと馬喰町バンドのライブに行きませんか〜〜?」というお誘いがきていたので、青山まででかけてきました。やっぱりOKIさんの引力というか、オーラというか、すごいのですよねえ。でも、それがまた馬喰町バンドのさわやかさと対比みたいになって、やがて、一体になっていって、ほんとにいいライブを久々にみたな。という気分でした。

 帰りに、青山の屋台村?みたいなところで、Tさんと、あることについて喧々囂々の議論を戦わせました。ものすごくしゃべったなあ。しゃべるのしんどいの。

 昨夜は、ベルリンから、宣戦布告しようぜ!的な「原稿」が届いていて、いよいよこちらも始動する。これはほんの、序章にすぎないのだ。
  
これからは、ファイティングポーズとって生きる日々になるのかなあ。筋トレしとこう。





2015年5月2日土曜日

不器用ですが

色校が思ったよりよかったので、一安心。Kさんの初校ゲラも受け取れた。もう、プロローグから、散文詩みたいな文章だった。今度の装画は銅版画で、白い紙に白インクで刷りたい。といったら、編集の方に「へ?」と言われ、あ、いや、薄いグレーで。と、言い直す。気持ち的には限りなくしろにしたい。エンボスというわけでもなく。

 夜、張り切って水張りしたら、二つともよれてしまった。
 不器用だ。
 
 小学校三年生のとき、夏休みの宿題で、ライオンのぬいぐるみを作ったのだけど、なんだか、ぐちゃぐちゃなものができて恥ずかしかった。なのに、担任のおじいさん先生は「これはとってもいい。気持ちがすごくあらわれているのがいいんだよ」って、べたぼめしてくれた。
 それが、わたしの創作の原体験になっている気がする。不器用であることが、なんだか悪くない。ということが。
 子供のときに出会う大人って、ほんとに大切なんだよなあ。と思う。