多和田葉子著『星に仄めかされて』を読みました。
もともと本を読むのは早くないのだけど、多和田葉子さんの本を読むときはとりわけ遅くなる。
少し読んでは立ち止まって、その言い回しの妙にしばし浸ってしまう。
ついつい立ち止まらせるような表現が、それこそそこかしこにちりばめられているので、
さらさらとさくさくと、噛み下してしまうのはとてももったいない。
そうしてもたもたしているうち、 登場人物たちに翻弄され、アンビバレントな感情のなかに引きずり込まれる。混乱するけれど落ち着いて、冷たいのに暖かく、鋭いのに鈍く、エロティックなのに醒めていて、生真面目なのに馬鹿馬鹿しく、やがて、なにも手渡されないのに、確かなものが残される。わたしの語彙ではとうてい語ることはできないのだけど、それが、なにがしかの本質ではないのか、とふと思う。
星々はどこか微妙な均衡をもって繋がっている。
その星座をたどっているだけなのに、読書の間、幸福感につつまれる。
苦々しい人生のなかで、対話と関係性によってひとは、その身体のなかにときおり甘い風を通過させて生命を維持しているのかなと思う。
そう思わせくれる作家に、なにかとてつもないゆったりとした愛を感じて、やさしい心地になる。
どこかの星をみているわたしもまた星で、瞬いているものだとよいなと思う。
幸福な対話の数々が空洞の空間に存在のない存在として在る。三部作の二作目ということで、次への予告も感じさせる終わり方。早くも続編が待ち遠しいです。
彼らの行く手を早く知りたい。
雰囲気が出るかなと思って、ライトテーブルの上で本の写真をとってみました。