2020年7月29日水曜日

星みる星はこの星の星

多和田葉子著『星に仄めかされて』を読みました。

もともと本を読むのは早くないのだけど、多和田葉子さんの本を読むときはとりわけ遅くなる。

少し読んでは立ち止まって、その言い回しの妙にしばし浸ってしまう。
ついつい立ち止まらせるような表現が、それこそそこかしこにちりばめられているので、

さらさらとさくさくと、噛み下してしまうのはとてももったいない。

そうしてもたもたしているうち、 登場人物たちに翻弄され、アンビバレントな感情のなかに引きずり込まれる。混乱するけれど落ち着いて、冷たいのに暖かく、鋭いのに鈍く、エロティックなのに醒めていて、生真面目なのに馬鹿馬鹿しく、やがて、なにも手渡されないのに、確かなものが残される。わたしの語彙ではとうてい語ることはできないのだけど、それが、なにがしかの本質ではないのか、とふと思う。

星々はどこか微妙な均衡をもって繋がっている。
その星座をたどっているだけなのに、読書の間、幸福感につつまれる。
苦々しい人生のなかで、対話と関係性によってひとは、その身体のなかにときおり甘い風を通過させて生命を維持しているのかなと思う。
そう思わせくれる作家に、なにかとてつもないゆったりとした愛を感じて、やさしい心地になる。
どこかの星をみているわたしもまた星で、瞬いているものだとよいなと思う。



幸福な対話の数々が空洞の空間に存在のない存在として在る。三部作の二作目ということで、次への予告も感じさせる終わり方。早くも続編が待ち遠しいです。

彼らの行く手を早く知りたい。


雰囲気が出るかなと思って、ライトテーブルの上で本の写真をとってみました。


2020年7月26日日曜日

美術館は今日も映えているのか

連休となると、ついそわそわする小市民です。

先日は、東京都現代美術館で開催中、オラファー・エリアソン展へ。

いつからか、美術館では写真撮影がかなり許されるようになりました。
美術館だけでなく、あらゆるイベントで撮影okは多くなり、あからさまに「是非、SNSでシェアしてください」なんていわれることもあります。
口コミの威力が認知されたのでしょうか。
確かに、コストはかからないのに、広告力は絶大というのがSNSの側面のひとつです。
でも、ときおりそれを利用しようとしてたたかれる。なんて、場面にも出くわします。
十数年前には考えられなかった現象ですが、この先また、こんなことが?なんていうことも多々おこるのでしょう。
そういうことにはぼんやり傍観をきめこんでいますが。

美術館は予想よりもずっと混んでいました。
また自粛要請がきたら、確実にメンタルやられるから、政府が二の足踏んでる間に出掛けよう!という心の声が聞こえてきそうです。

気のせいか、お洒落なひと率高し...。
そして気づいたのは、オラファー・エリアソンのキラキラした作品の前で、
記念撮影以上の熱意をもって、撮影しているひと多し。
モデルさんの撮影しているのかと、一瞬おもったほどです。

インスタ....ですよね。

そう、現代美術って、映えるんですね。インパクトありますから。
もう、高層パンケーキなんてあげてもだれも「いいね」してくれませんから。
え、なにそれ?かっこいい。のは美術館。

そういえば、某新聞での企画で、作品とアイドルを撮る「美術館女子」というのがあって、美術や、フェミニズム、各方面からかなりたたかれてました。それは、たたかれるでしょう。って思いましたが、実際に美術館でインスタ用の撮影を熱心にしている女の子たち(きめつけ...)をみていて、それはそれで悪くない雰囲気だな。と、思いました。人間もまた自然の一部ですから、なじむんです。いい空間には。
エリアソンの考察や実験やコンセプトはおいてけぼりですが、
表層を滑降していくことでなにかひとつは拾うものもあるかもしれません。
彼らは観る意外の方法で、作品と交流をしている。わたしなんかよりずっと熱く。

でも、鶴岡政男の「重い手」の前でかっこよくポージングできる女の子ってどれだけいるでしょうか...。
それができるパワーがあるかどうか。
美術はやっぱり、かっこいいだけのものではないですね。パワーのぶつかり合い。
がぶりよつをしてこそ味わえると思います。

で、わたくしも草間彌生作品と撮ってみました。
小市民感があふれてます。まだまだです。




常設展より草間彌生「ドレッシングルーム」

2020年7月22日水曜日

美しい名前

仕事場には、資料が散乱しているのですが、たっくさんの資料があっても、実際の作品のなかにその影響が現れるのは、料理におけるコショウほどの分量。
でも、コショウやら、スパイス大事です。

山水画について確認したかったので、雪舟展の図録をひっぱりだしてみました。
神保町の古本屋で500円で買ったもの。
丁度雪舟に魅了されていた時で、まるでふっと本棚に現れたみたいでした。

東博でやっていた雪舟展は行ってないのです。 そのころ、あんまり興味がなかったので。恐れ多いことですが、雪舟は なんだかまとまりすぎていて、つまらないなあ。と思っていたのです。

けれど、ある本がきっかけで、雪舟を観るようになり、 山水長巻、天橋立図にあらためて魅了されました。
とくに天橋立図は、いわゆるスケッチなので、なんというのか生々しさというか、風景、自然に対する想いがそのまま画面にあふれていると感じます。
そういう感情を詩にできるひと、 絵にできるひと、それをうけとることができるひと。

雪舟の絵には慈愛のようなものがあります。

それは、周文や夏珪などの山水画のマエストロと比べるとわかります。
技術の高さとともにその崇高さが目立つそれらにくらべて、
雪舟は、よりもの静かです。
その静けさが、絵を見ているものの心の静けさへ呼応し、引き起こされます。
静けさが引き起こされるという言い方はおかしいかもしれませんが...。
本当にそういう感じです。心のなかの一番静かな場所を探り当てられてしまうというような。

だから心地いいのかもしれません。

なにより、名前が美しい。
雪の舟
とは。







2020年7月8日水曜日

Dead End in Tokyo

東京を歌った歌は結構ありますが。
最近聴いているのは、これです。
MAN WITH A MISSION日本のロックバンド、
なぜか、みんな狼のかぶりものをしています。
歌は正当派ロックですが、どことなくコミカルな面をもつバンド。
東京はいつも歌のなかで、少し哀しい場所であることが多いです。
多種多様な顔がこちらを刺激してくる。
いつの若者にとっても、そういう場所なんですね。
MAN WITH A MISSION
Dead End in Tokyo
https://www.youtube.com/watch?v=JjIiK9VcIsA

都知事選にはがっかり...。
林文子を選びつづけている横浜市民にはなにもいえないんですけど。
いろいろなことを考えて、結局たどりつくのは「教育」だと思います。
選挙に行かないのも論外だけど、
教育に文化の土壌がないという問題があるかも。
どういう哲学を持って生きているかということがとても大事で、
それぞれが、自分の答えを導きだすには、文化的な知識と素養が必要で、
なにより考える力をつけないと、と思う。
いまの教育は、考える力を奪うようになっているので。


絵本のラフがようやく一段落して、
銅版画の作業に入っています。
絵にはいつも繊細さと大胆さが必要です。
いつまでたっても悩ましい。