逗子アートフェスティバル内で行われるアートツーリズム「小坪路地展」にお呼ばれして、11月3日に、一夜限りのハンズボン上映会(濱中大作さんのみ新作、ほかは、昨年末のプログラムの再演が中心となっています。わたしは二作上映します)が行われることになりました。小坪とは、逗子の小さな漁港で、海からの斜面などに路地がくねくねあるのですが、そこで、いろいろな作家たちが、1日〜3日の間、なにがしか展示をしているらしいです。お散歩気分で鑑賞してください。
上映は漁港内の「鮎丸」という釣り船屋さんの漁師小屋で行われるそうです。
小坪漁港は逗子マリーナのところです〜上映会は無料です!
2015年11月1日日曜日
2015年10月12日月曜日
2015年9月12日土曜日
夜の人魚
版画の日々がはじまりました。ああ、でもこれが、この空気感が一番落ち着く。
銅板の鈍い光や、冷たさ、グランドの匂い、ニードルのきりきりとした先端。腐食の間のお茶の時間。
版画は劣化コピーしていくことが魅力の芸術なんじゃないか。っていうのは勝手な仮説なのですが。なぜ、劣化コピーが魅力なのか。っていうのは、生命には限りがあって、そこになんらかの形で(たとえば絵画という形)、永遠性をもたせようとする歪曲してしまい、生命の躍動は少なからず劣化する。劣化した作品から遡上して、歪曲された永遠は形を得て浮かびあがることができる。劣化の度合いの結果として、遡上せねばならない距離が遠いほどに、ひとはいいようのない哀切の感情を得てしまうのじゃなかろうか。とか.....
来年の一月に予定している個展は、国立のWATER MARKというギャラリーで。
はじめて、アートディーラーの方のお世話になります。いままでとは、違うなにかが見えてくれたらと他人事のように思ってみたり。
2015年9月1日火曜日
夏のハンズボン映像展2015ー無事に終了いたしました。
夏のハンズボン映像展、大盛況、大評判のうちに、幕を閉じました。
決しておおげさではないのです。来場者がみんな、あたまに「カワウソ」のお面を被ってくれて。楽しんでくれて。バロンさんのファンになってくれて。
楽しそうな人の顔を見るのってほんとにしあわせな気持ちになりますね。
映像もエンターテイメントであることにほかならない。ということもあらためて感じました。
2015年8月24日月曜日
カワウソくんたち保護いたしました!
今週末8月28、29、30日のハンズボン映像展は、5本の短編アニメーションの上映とボードビリアンのバロンさんのライブの二部構成となり、充実のお時間を過ごしていただけます。ご来場者には、バロンさんの歌「カワウソ」にちなんで、カワウソのお面をお配りする予定。只今制作中です。もういない。といわれているニホンカワウソですが、もしかしたら、どこかの森の中で、こっそり夏祭りを開催しているかもしれません。ほら、あの、魚を並べるという噂の....。
聴いているとなんだかちょっと泣きそうになるバロンさんの「カワウソ」、是非、木場まで聴きにきてくださいませ^^!原画は、泉原昭人画伯。この子たちは曲の間、アニメーションでも登場しますのよ。お楽しみに!
詳細はこちら↓
http://earth-plus.net/?p=6053
聴いているとなんだかちょっと泣きそうになるバロンさんの「カワウソ」、是非、木場まで聴きにきてくださいませ^^!原画は、泉原昭人画伯。この子たちは曲の間、アニメーションでも登場しますのよ。お楽しみに!
詳細はこちら↓
http://earth-plus.net/?p=6053
2015年8月10日月曜日
ハンズボンでバロンさんとおどりましょう!
8月28、29、30日開催のハンズボン映像展の活動は短編映像を通して、世の中をいろんな角度から考える。という主旨からはじめたもので、三回目の開催となります。
今回はじめて、ボードビリアンのバロンさんをお迎えして、5つのアニメーション上映とライブをセットでお楽しみいただけます。バロンさんのライブをはじめてみたとき、なんだか懐かしくて、なんて心地いいんだろう!って思いました。やなこと忘れるかんじですね。バロンライブの目玉は、ある絶滅種動物の歌を、studio mangosteenの描きおろしアニメーションをバックにバロンさんに演じていただけることです。歌と映像にあわせてみんなで絶滅してしまったあの動物に想いを馳せながらダンスを踊れたら.....ちょっとせつない、いい夜になりそうです。
今回は上映会&ライブのため、前回よりチケットが割高となったため、前売りを設定しました。前売り特典も数限定で検討中ですので、ご興味あるかたは、ぜひお早めのご予約をお願い致します!
MAIL:info@earth-plus.netTEL:03−5809−9949
http://earth-plus.net/?p=6053
今回はじめて、ボードビリアンのバロンさんをお迎えして、5つのアニメーション上映とライブをセットでお楽しみいただけます。バロンさんのライブをはじめてみたとき、なんだか懐かしくて、なんて心地いいんだろう!って思いました。やなこと忘れるかんじですね。バロンライブの目玉は、ある絶滅種動物の歌を、studio mangosteenの描きおろしアニメーションをバックにバロンさんに演じていただけることです。歌と映像にあわせてみんなで絶滅してしまったあの動物に想いを馳せながらダンスを踊れたら.....ちょっとせつない、いい夜になりそうです。
今回は上映会&ライブのため、前回よりチケットが割高となったため、前売りを設定しました。前売り特典も数限定で検討中ですので、ご興味あるかたは、ぜひお早めのご予約をお願い致します!
MAIL:info@earth-plus.netTEL:03−5809−9949
http://earth-plus.net/?p=6053
2015年7月1日水曜日
2015年6月24日水曜日
2015年6月20日土曜日
蟻の左足
熊谷守一美術館が30周年だそうです。大好きな画家のひとりです。小さな美術館ながら、心底満たされるものがそこかしこに。「蝶とハルシャ菊」という布地に試し描きをした絵があって、その小さな切れ端に描かれた白い蝶と黄色い菊になんだか、ぐっときて、おもわずぽろっと涙してしまった。なにからしさといったものは、ひとつもなくて、板や布に絵の具がのっかってるだけなのに、なんでこんなにあらゆるものがそこにあるのか。絵とは不思議なものだと思う。熊谷守一は、ずっと小さな生き物を観察しているなかで、蟻がどの足から歩き始めるかを知ったらしい。さて、どの足から....なのでしょうか?
2015年6月19日金曜日
おおかみトロンプイユ
きつねの次はおおかみです。まだこうして見せるようなラフですらないですが。
ある町の鳥瞰図を、おおかみのトロンプイユにしたてて描いています。これが、なかなか重労働。騙し絵を描くのは難しいです。でもこれ、ばっちりかきあげたいな!
2015年6月16日火曜日
装画・装丁のしごと:姜信子著『声 千年先に届くほどに』
2015年6月15日月曜日
ENCOUNTER in AUSTRALIA
来週の水曜日から、オーストラリアのブリスベンで、グループ展があります。あちら方面にご縁のあるかたがいらっしゃいましたら、どうぞよろしくお願いします。ブリスベンの日本国総領事館などが告知してくれたりと、あちらでは盛り上がってくれているようです。私は、行かないのですが、うまくいってくれるといいです。作品がまだ、到着してないようですが......(私だけ)。
到着したらしい〜!
到着したらしい〜!
2015年6月11日木曜日
World.Wide.Web.Witch!
略してw.w.w.wです。(笑いの意味のあれではなく....)ちょっと前の作品です。ななめから撮っています。この蜘蛛女はいつも「あたしをみて〜」っていっているのです。ちょっとブラックなモチーフですね。やっと、ブリスベンに追加作品を発送できました。で、明日から、ずっと溜めに溜めていた、あるテキストのための絵にとりかかります。まずは、エスキースを。戦いだわ〜。
今日、マスク展をみにいっていたら、Sさんからメールが......。装幀をさせていただいた『天女たちの贈り物』が、東京堂書店の週間ランキングで一位になったそうです。売上げにカバーってそんなに関係ないと思うのですが、裏方として、いいことしたみたいな気持ちになれました。安堵。
2015年6月9日火曜日
わたしのところにだけ雨がふる
以前つくった版画のタイトルです。
そういう気持ちがゆるゆると促され、やがて自分への問いになっていくのかな。
つゆいりなり。
昨日の夜は映画『あん』を観にいった。
河瀬直美監督、ドリアン助川氏原作の作品。
おばあちゃん萌えにはたまらない!
樹木希林さんと市原悦子さんのやりとりが可愛くて小鳥のよう。
わたしのなかでは注目のおばあちゃんユニット誕生。
この二人で、なにかまた新たに映画が作られるといいなと思った。
映画は、原作に沿っているようでかなり違う印象。
そういうところをみるのもおもしろかった。
原作では泣いたけど、映画では泣かなかったり。
わたしの泣き所を説明するとネタばれになるので、ひかえておくことに......
そういうところをみるのもおもしろかった。
原作では泣いたけど、映画では泣かなかったり。
わたしの泣き所を説明するとネタばれになるので、ひかえておくことに......
ハンセン病患者は、国という制度に人の地獄へ送られたひとたち。
この差別は、映画のなかにあったような「冷たい俗人」の感覚的なものから生まれるだけではなくて、
国や法律によってつくられたものでもあることも、ふっと思った。
国や法律によってつくられたものでもあることも、ふっと思った。
らい予防法ができるまでは、患者達も、地域のなかで暮らしていけたのだから。
少なくとも、家族と暮らす、もしくは連絡をとりあうことはできたのだ。
いっぽう、国や法律のそういう部分に対して、鈍感であるのも、
やはり、人の感覚のいいかげんな部分でもある。
なにかでちらりとみた樹木希林さんの舞台挨拶のことばに
「隔離施設で一生を終えた人たちのことを、知らずにいたことを申し訳なく思う」
というのがあった。
なにかでちらりとみた樹木希林さんの舞台挨拶のことばに
「隔離施設で一生を終えた人たちのことを、知らずにいたことを申し訳なく思う」
というのがあった。
そういう気持ちがゆるゆると促され、やがて自分への問いになっていくのかな。
2015年6月5日金曜日
謎のふたごだよ
チラみせ。と、いいながら全貌。
星占いコラムの挿絵です。モデルは近所のちびっこ「ミナガワ君」。
姜信子さんの新刊カバーデザインの色校、いいかんじでしたが、編集のNさんの「地味かも」との意見から、少し文字の色を変えました。このとき、はじめて、本というものは、書店でめだたなければならないのか。と、気がつきました。
もう、確認する時間がないので、次にみるときは本になってから。どきどきです。
でも、すっごいかっちょよいと自分ではおもってます。
昼間、TVに出てた修造の影響か、いつのまにやらポジティブ思考が。
明日から、ブリスベンに追加で送る版画数点の本刷りをします。
あと、プロダクト制作を本格始動しないと、ほんとにまずい。
それから、某出版社のweb用イラスト、Tさんの書き下ろしテキストの挿画に着手。
と、いそがしいです。
週末までのminaの展覧会にもいかなくては。鴨居令もみなくてはいけないし、河鍋暁斎もはじまるらしい。あれこれ、おちついて、こなします(希望)。
2015年6月4日木曜日
2015年6月2日火曜日
天女のトークイベント
ばたばたの週末でした。地震もあったし。プレートどうなってるのでしょうか。ずれをちょっとずつ直してくれるといいのですが。
姜信子さんの本のデザインはそれこそどたばたしながらも、無事入稿しました。とにかく、中身はすばらしいので、たくさんの人に手に取って読んでいただきたいです。ブックレビューは、本がでてからまた詳しく書きます。狐の絵の入れ方が微妙なので、色校をどきどきしながら待ちます。
写真は、先日刊行された鈴木康夫さんのデビュー作『天女たちの贈り物』。カバーデザインと、イラスト全般を担当しました。版画は使わず、色鉛筆で描いたものです。色を自在に使えたので楽しかったです。わたしは、真っ白いバックに蓮の花がぽんとあるデザインが一押しだったのですが、著者さんの意向でドラマチックなこちらになりました。著者さんのイメージがはっきりしていると、とてもやりやすいです。
(memo:使用紙はアラベール)
明日6月3日水曜日19時より、神保町の東京堂書店さんで、著者の鈴木康夫さんと哲学者の永井均さんとの、トークイベントがあります。お時間ありましたら、是非に。
わたしも行く予定です。
トークイベントは、熱気につつまれながら無事終了しました。
ファンも獲得されたご様子で、その後、内輪の打ち上げとなりました。ひさびさ、紹興酒を飲みました。酒席で話題に出たアングラ演劇をひさびさに観たくなりました〜。
2015年5月27日水曜日
白狐のはずが
まっ黒にみえますが、白インクで刷ってます。銅が研磨されてインクに溶けこんでしまうんですね。あしたもう一度やってみます。今日、タイトル文字でつかう活字がとどきました。うーん。やっぱりいいです。まったく時間がないけど......いい本になるといいなあ。
2015年5月26日火曜日
2015年5月25日月曜日
かなしい気持ちのきつね
結構怖い顔になってしまいました!
画像はなしです。本ができたら載せます。
〆切をのばしてもらったのですが、予定どおりの〆切でまにあいそう。
これを納品したら、今度は、おおかみを。
そのために、銅板をまとめて注文した。ひさしぶりに。銅の価格はおちついたのかな。そんなに高い感じはなかった。しばらく、銅版画の仕事がつづきそう。楽しいなあ。
昨夜は、木場のギャラリーで、夏のハンズボン展の打ち合わせだった。
ボードヴィルとアニメーションで、きっと楽しくなると思います!
慢性的に時間がない。
子供のせいじゃないとおもうけど。
2015年5月22日金曜日
2015年5月20日水曜日
牙のあるものたち
同時にふたつの仕事を進行中なのですが、ひとつには、狐がでてきて、ひとつには、狼がでてくるのです。まず、狐から描いてみたのですが、狼にみえなくもなく......絵描きの手によって、勝手に交配されてしまいました。
2015年5月18日月曜日
2015年5月17日日曜日
2015年5月15日金曜日
2015年5月13日水曜日
ひとは祈りながら生きてきたのか
正確にいうなら、人は祈りながら、死んでいった。ということになるのかも。
歴史を振り返ってみれば、そこには語り継がれることで、物語のもとに不老不死を得た英雄達しか見えない。
不老不死は物語のなかにしか存在しないから、ひとは、物語を渇望するのかな。
歴史を振り返ってみれば、そこには語り継がれることで、物語のもとに不老不死を得た英雄達しか見えない。
不老不死は物語のなかにしか存在しないから、ひとは、物語を渇望するのかな。
2015年5月12日火曜日
五百羅漢の夢
まだ行ったことがないのですが、京都の石峰寺に行って若冲が住まいながら下絵を描いたという、五百羅漢像をみたいです。
遠野でたどりつけなかった、五百羅漢を京都でみる。というもやっとした計画。
いずれ、全国の五百羅漢像をたずね歩く。とかもいいかも。
ひとは祈って生きてきたのね。
伊藤若冲「石峰寺図」
目黒に五百羅漢寺なるものあり。
http://www.rakan.or.jp/
2015年5月9日土曜日
せつないさる
さるの目はいつも、なんだかとても哀しそうだ。
ひと以外の動物はわらわないから(ちょっとは笑っていることあるのかな)、目だけをみると、感情といったものはどこにもなくて、かといって、空洞というわけでもなく。しいていえば、せつない目をしている。遠藤周作の短編だったか。名前も忘れてしまったけれど、主人公が、動物園の猿に恋愛感情を抱かれる(妄想だったか)。というのがあって、それがどうしてかとても哀しい感情とともに記憶されている。
今日聞いたはなしにやけにざわっとして、確かめたくて、ある版画家さんの作品をひっぱりだしてみた。
やっぱりさるは、せつない目をしてた。
この版画家さんは、望月計男さん。鵜の木のギャラリーhasu no hanaで、ひとめぼれした展覧会。次回を楽しみにしていたら、80を目の前にして逝ってしまわれたそうです。
望月さんの画集は、hasu no hanaで予約販売しているそうです。わたしも買います!
2015年5月8日金曜日
2015年5月7日木曜日
2015年5月6日水曜日
2015年5月4日月曜日
空気を読まないわたしたち
作家が空気を読み始めたらおしまいだ。と、思う。
けれど、「なんかおもしろいことはねえがああ」と、渉猟することは、あるとおもう。
社会の中での文化には、流行というものがあるから。
いっぽうで、世の中の表層的な流行と無縁のものをひとは欲したりもする。
社会が多大なダメージを受けて、それによって、表現者たちがざわめく。
あるものは嘆きを、あるものは怒りを、あるものは祈りを、そこに込める。
わたしはどういうことが起きても、まずははげましを込めたい。
嘆きも祈りもはげましも、ひとの心を着地点としている。ひとの心に届くことができて、
はじめて、再生の芽吹きを待つ。
ただ、怒りは、その温度のままひとの心を着地点とすることができない。
だからこそなのか、怒りを持続していこうとする、作家もいる。
まわりは「もうそのことはいいじゃないか」って思っているかもしれない。
でも、怒りに、はやりすたりがあっていいのだろうか。と、思う。
おだやかな表現も、心地いいのだけれど、
まるで、空気を読むことなく、怒りをずっと持続していこうとすることも、
また、必要だと思う。いろんなものがなくては。
なぜならそれは、具体的な解決を模索するため深い考察をうながし、人為的な出口を見いだす力になる。
怒りの先に展開される現実がなんなのか、まだ、よくわからないけれども、
ひとが考えるのをやめたとしても、ずっと考え続けることが出来るのが、表現者の体力なのだろうとおもう。
いま、あるひとと「その先」を視覚化する試みをはじめている。
空気など、絶対に読んではいけない。
けれど、「なんかおもしろいことはねえがああ」と、渉猟することは、あるとおもう。
社会の中での文化には、流行というものがあるから。
いっぽうで、世の中の表層的な流行と無縁のものをひとは欲したりもする。
社会が多大なダメージを受けて、それによって、表現者たちがざわめく。
あるものは嘆きを、あるものは怒りを、あるものは祈りを、そこに込める。
わたしはどういうことが起きても、まずははげましを込めたい。
嘆きも祈りもはげましも、ひとの心を着地点としている。ひとの心に届くことができて、
はじめて、再生の芽吹きを待つ。
ただ、怒りは、その温度のままひとの心を着地点とすることができない。
だからこそなのか、怒りを持続していこうとする、作家もいる。
まわりは「もうそのことはいいじゃないか」って思っているかもしれない。
でも、怒りに、はやりすたりがあっていいのだろうか。と、思う。
おだやかな表現も、心地いいのだけれど、
まるで、空気を読むことなく、怒りをずっと持続していこうとすることも、
また、必要だと思う。いろんなものがなくては。
なぜならそれは、具体的な解決を模索するため深い考察をうながし、人為的な出口を見いだす力になる。
怒りの先に展開される現実がなんなのか、まだ、よくわからないけれども、
ひとが考えるのをやめたとしても、ずっと考え続けることが出来るのが、表現者の体力なのだろうとおもう。
いま、あるひとと「その先」を視覚化する試みをはじめている。
空気など、絶対に読んではいけない。
SAKHALIN ROCK OKI DUB AINU BAND
昨日の余韻。いままでOKIさんのライブは、OKI DUBしかいってないのだけど、トンコリだけの「サハリンロック」もめちゃめちゃかっこよかった.....。OKI DUB AINU BANDを添付してみよう。TさんがOKIさんにご挨拶してたの便乗して、思わず握手もしてもらった。ライブ後にミュージシャンに「握手してください」なんていうのは、はずかしいのでほとんどしたことないけど、過去をふりかえって、Abdullah Ibrahim(DollarBrand)をPIT INNで観たときだけ。ダラー・ブランドとOKI......!
どちらの手もとても大きくて暖かだった。
どちらの手もとても大きくて暖かだった。
2015年5月3日日曜日
サハリンと馬喰町
GWですが、特にお出かけの予定もなく.....。と思っていたら、メールボックスにTさんから、「OKIさんと馬喰町バンドのライブに行きませんか〜〜?」というお誘いがきていたので、青山まででかけてきました。やっぱりOKIさんの引力というか、オーラというか、すごいのですよねえ。でも、それがまた馬喰町バンドのさわやかさと対比みたいになって、やがて、一体になっていって、ほんとにいいライブを久々にみたな。という気分でした。
2015年5月2日土曜日
不器用ですが
色校が思ったよりよかったので、一安心。Kさんの初校ゲラも受け取れた。もう、プロローグから、散文詩みたいな文章だった。今度の装画は銅版画で、白い紙に白インクで刷りたい。といったら、編集の方に「へ?」と言われ、あ、いや、薄いグレーで。と、言い直す。気持ち的には限りなくしろにしたい。エンボスというわけでもなく。
夜、張り切って水張りしたら、二つともよれてしまった。
不器用だ。
小学校三年生のとき、夏休みの宿題で、ライオンのぬいぐるみを作ったのだけど、なんだか、ぐちゃぐちゃなものができて恥ずかしかった。なのに、担任のおじいさん先生は「これはとってもいい。気持ちがすごくあらわれているのがいいんだよ」って、べたぼめしてくれた。
それが、わたしの創作の原体験になっている気がする。不器用であることが、なんだか悪くない。ということが。
子供のときに出会う大人って、ほんとに大切なんだよなあ。と思う。
2015年4月30日木曜日
銅と鉛と紙....とのこれから
memo。
しばらく、鉛筆によるドローイングを、ねちこく続ける予定。鉛筆絵師(大げさや〜!)の始動。
筋トレみたいなものだろか。その上で、版画による瞬発力をどう活かすかということを試していこうと思う。
フィギュアスケートに喩えると、鉛筆画が筋トレで、銅版画が演技てこと??
モチーフは、地獄のような桃源郷のような風景と、あるものを身にまとっている人物画。
創作ってほんとに、無限の可能性があるからやめられない。
ここ二年ほど、プロジェクトの立ち上げが続いた。ひとつは活字の再生を詩の言葉の力によって試みた「足りない活字のためのことば」展、もうひとつは短編映像の可能性を探るための「ハンズボン映像」展。
どちらも、自分にとって大切なプロジェクトになった。
「足りない活字......」のほうは、一段落して、いまはその余波によるものが残っていて。「ハンズボン」のほうは、今年8月のバロンさんとの競演と、来年のコンテンポラリーギャラリーでの展示(予定)を山場として、一段落しそう。
仕事のほうでは、もうしばらく、本の装画とデザインの仕事が続き......。
あとは、ウエブ上では、某美術雑誌のサイトのイラスト描き。
それから、或る作家さんとデザイナーさんと、プロダクト制作の企画。また別の作家さんが、わたしの銅版画のために掌編を書き下ろしていただけることになり、出来上がり次第某雑誌で発表する予定なのだ。この二つの企画に関しては、もう、ずっとどきどきしている。なにやら某だらけだけど。
こうして書き出してみると、こんな私でも、なにげにいそがしいではないか......?
鉛筆画が溜まって、方向性を見極めることができたら、個展の準備に入ろうと思う。
今後は、プロジェクトなどという大掛かりなことからは少し離れて、作家さんひとりひとりと、もしくは自分自身と向き合いながら、ひたすら、絵師としての可能性のなかで新しい地平をのぞんでいきたいと思う。そういう小さいことが、やっぱりなにより大切だということを、絵を描くことを通して、ほんのすこしだけど、知っている。
しばらく、鉛筆によるドローイングを、ねちこく続ける予定。鉛筆絵師(大げさや〜!)の始動。
筋トレみたいなものだろか。その上で、版画による瞬発力をどう活かすかということを試していこうと思う。
フィギュアスケートに喩えると、鉛筆画が筋トレで、銅版画が演技てこと??
モチーフは、地獄のような桃源郷のような風景と、あるものを身にまとっている人物画。
創作ってほんとに、無限の可能性があるからやめられない。
ここ二年ほど、プロジェクトの立ち上げが続いた。ひとつは活字の再生を詩の言葉の力によって試みた「足りない活字のためのことば」展、もうひとつは短編映像の可能性を探るための「ハンズボン映像」展。
どちらも、自分にとって大切なプロジェクトになった。
「足りない活字......」のほうは、一段落して、いまはその余波によるものが残っていて。「ハンズボン」のほうは、今年8月のバロンさんとの競演と、来年のコンテンポラリーギャラリーでの展示(予定)を山場として、一段落しそう。
仕事のほうでは、もうしばらく、本の装画とデザインの仕事が続き......。
あとは、ウエブ上では、某美術雑誌のサイトのイラスト描き。
それから、或る作家さんとデザイナーさんと、プロダクト制作の企画。また別の作家さんが、わたしの銅版画のために掌編を書き下ろしていただけることになり、出来上がり次第某雑誌で発表する予定なのだ。この二つの企画に関しては、もう、ずっとどきどきしている。なにやら某だらけだけど。
こうして書き出してみると、こんな私でも、なにげにいそがしいではないか......?
鉛筆画が溜まって、方向性を見極めることができたら、個展の準備に入ろうと思う。
今後は、プロジェクトなどという大掛かりなことからは少し離れて、作家さんひとりひとりと、もしくは自分自身と向き合いながら、ひたすら、絵師としての可能性のなかで新しい地平をのぞんでいきたいと思う。そういう小さいことが、やっぱりなにより大切だということを、絵を描くことを通して、ほんのすこしだけど、知っている。
女神をなめていはいけません。
つかの間の休息ということで、ポランスキーの「チャイナ・タウン」(’74)と、「毛皮のヴィーナス」(2013)を観た。
毛皮のヴィーナスはめちゃツボだこれ。映画を観るときって、監督のセンスとか、ストーリーとかより、まず役者の演技をみるのがなにより好き。どんなB級映画でも、役者が魅力的なら楽しめる。それを存分に味わえる作品だった(これは、A級映画だけど)。
ポランスキー本人は、逸話がてんこ盛りなイメージで、やはり作品も変態なんだなあっていうのが役者を通して滲み出ていて。そういうのをじわっと感じる。なにより、品がいいし......。品のいい変態って、芸術家のひとつの理想なのでは?とか。
この二人の役者の作品をもっとみたいなあ、と思ったし、脚本も秀逸だった。愛についての考察が、思いのほか深い。
毛皮のヴィーナスはめちゃツボだこれ。映画を観るときって、監督のセンスとか、ストーリーとかより、まず役者の演技をみるのがなにより好き。どんなB級映画でも、役者が魅力的なら楽しめる。それを存分に味わえる作品だった(これは、A級映画だけど)。
ポランスキー本人は、逸話がてんこ盛りなイメージで、やはり作品も変態なんだなあっていうのが役者を通して滲み出ていて。そういうのをじわっと感じる。なにより、品がいいし......。品のいい変態って、芸術家のひとつの理想なのでは?とか。
この二人の役者の作品をもっとみたいなあ、と思ったし、脚本も秀逸だった。愛についての考察が、思いのほか深い。
2015年4月29日水曜日
ラヒリ
ジュンパ・ラヒリを描いてみた。目ぢからのある女性の口を隠すと、アラブぽくなってしまう。また明日描きなおそう。ここのところ鉛筆で描くのが楽しい。鉛筆は楽しい。明日は、銅版画を。
鉛筆で美女をぼやぼや〜っと描く喜びって、なにかを思い出させる.....と、思ったら、フェルナン・クノップフの絵だった。あのへんの。ウィーンな感じと、銅版画の傷っぽいかんじを合わせてみたい。
2015年4月28日火曜日
野毛大道芸でゲルニカをみた!
入稿直前でしたが、ふりきって野毛大道芸へ。大島先生が招致したインドマジックをみるのが目的で、お友達(というか、目上の方ですが)を誘ってでかけてみた。お天気もよくて、散歩とビール日和。インドマジックは、どちらかというとお笑いマジックで、でも最後には、ばしいっと決めるところがなんともうれしい。観客も盛りあがってた。なかなかみられるものではない味わい深〜いものだった。
目的を果たしたあとは、ビール飲みつつおもしろそうなところで足をとめて、というお散歩モード。おもいのほか感動したのは、津軽三味線のユニット「せ三味ストリート」。二人羽織で三味線弾いたりとか、曲芸っぽいのをやっていたのに、アンコールだけガチの津軽三味線をたっぷり聴かせてくれて、なんかいつのまにか感動してた......!この、「いつのまにか」っていうのがいい。また、どこかでやってたら、みたいなと思った。
最後にみたのが「人間美術館」のゲルニカ。いろいろ芸をやったあとの最後の出し物だったみたいだけど。お客さんにいろんなポーズをさせて、絵を完成させるという芸...?地味〜なんだけど、あとからじわ〜っとくる。これは芸人さん本人がポーズしている絵の一部分ですが、さて、ゲルニカのどの部分にあたるのでしょうか.....?
これは、大道芸らしく、ピエロ君の写真です。インドマジック撮るの忘れた〜><。
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