2019年12月9日月曜日

みることによって

 先日、hasu no hanaで開催しました、「おおかみたちのえものがたり」展で、感じたことをすこし 書き留めておこうと思います。

 今回の個展はwatermarkから、四年ぶりです。こんなこというのも変ですが、あまり個展が好きではなくて、本当なら作品ができあがったら、発表する。という形をとりたいのですが、そんな大作家でもなく。少なくとも一年前には、展示の予定はたてていきます。
 今回は、手のかかる作品が一点仕上がってから予定をたてました。
 はじめ、展示をするのは、よくお世話になっていた馬喰町ART+EATの予定だったのですが、とても残念なことに2018の夏のはじめにいったんcloseとなってしまいました。それで、他をさがしているときに声をかけてくださったのが、移転リニューアルしたてのhasu no hanaでした。

 そもそも、この版画連作は多和田葉子さんの小さな物語ありきで始まっているものですが、その物語は短いながらも、言霊があり、世に強く問うようなメッセージが含まれています。それをどういう形で放つのか、というのはとても大事なことでした。そういう発信場所として、ギャラリストの考え方もの含めhasu no hanaはとても理想的なギャラリーでした。

 それほど丁寧にあつかってきたつもりでいたのですが、搬入をしてみると、自分が思っていたよりも、版画は紙であるからなのか、空間が弱く、絵には深みがないように見え、愕然としました。制作に集中していくうちに、自分の作品への要求も高くなっていたせいだと思います。
 どこかこころもとないままでのスタートとなってしまったのです。

 ところが、不思議なことに、自分でも気がつかなかった何かが、日を追うごとに空間に現れてきたのです。
 予想もしていなかったことですが、それは、物語と絵の間にあるなにかです。
 何人かの方から、描かれていないにもかかわらず「森」を感じたという感想をいただきました。空間の奥行きは、言葉のなかにも絵のなかにもないところへと広がっていったようです。
 
 それは、受け手の意識が自由に入り込むスキマのようなものでしょうか。なぜか、日を追っていくうち、絵と物語への解釈や、関心がすこしずつリレーのように高まっていきました。鑑賞していただくことで、作品は色を与えられていくように感じました。

 今回のように、物語に付随して絵を描くことは、たとえば、コンセプトを詰めきったり、画家の感性をダイレクトに作品に昇華させることよりも、バイアスがかかり、スピードはなく、絵画そのものに向かわせる引力は分散されてしまうかもしれません。
 でも、そういう力があることによって、間が生まれ、鑑賞者のなかにも間を生じさせ想像をかきたてることができたのかもしれません。
 自分の実力や実績などとは関係なく、わたしのなかには、いつもどこか、表現はメッセージだという気持ちがあります。作品は、ただ、ある種の感情を呼び起こす装置としてあるものではないと思うのです。そこには、意図をもった発信者があり、受信者もまた、意図をもって、その発信を自由に書き換えていくのだとおもいます。
 表現は、受けてを一つの方向に持っていくのではなく、分散させていくものなのしょう。そこには表象には現れない、自由を得た美があるはずです。

 自分にとって、実際に創作はできないけれども、言葉による世界はとても大切だと改めて思いました。まだこれからも、平面による泥臭い制作を続けるつもりです。黒の表現の面白さも出て来ました。


 この展示内容は、少し内容が加えられたのち、書籍化を予定しています。そこはまた、空間がかわるので、より密な世界になっていくかとおもいます。そのときには手の中に、森を生じさせるような気持ちで挑みたいと思います。とても楽しみです。