多和田葉子著『献灯使』で、冒頭よりいきなり胸をつかまれたのは「無名」という主人公の名前だった。無名という言葉のもつ不思議な美しさと、まわりで旋回しつづけるイメージへの陶酔感。反義語に反して、無名という偏在性が、なぜか、そのあとに続く哀しい物語を予感させながら、はじめの衝撃から治癒の時間の甘さとともに、ゆっくりこころに沁み入ってくるようだった。
多和田さんの小説は、金太郎あめのように、どこを切っても完璧なおもしろさを持っている。たとえばこんな小さな場面にだって。
ーーコンピューターはないが、太陽電池で動く小さなゲーム機ならある。電池が弱いので、映像の動きはとても遅く、まるで能役者のようだ。そのためにスピードを競ったり、敵と戦ったりというゲームは全く流行らなくなり、最近は能にヒントを経た「夢幻能ゲーム」が市場を支配している。恨みを持って死んだ人たち、言いたいことを言いそびれて死んだ人たち、そういう死者たちの亡霊の語る理解しにくい言葉や断片的な妄想をうまく並べて一つの物語を作って、彼らにふさわしいお経を選んでやると、亡霊が成仏して消える、というゲームなのだが、消しても消しても新しい亡霊が姿を現すのはどういうわけか。それでも気を失うことなく遊び続けた人がこのゲームに勝ったということになるのだが、「勝つ」という言葉の意味を覚えている人ももうほとんどいなくなってしまった。
ーー『不死の島』多和田葉子より
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