2015年4月10日金曜日

ブルーブランケット

あまつぶドローイングの続き。週明けにはまとめられるかな。
このくまの名前はブルーブランケット。むかーし書いた掌編小説の主人公の名前。映画のTEDとか、クマのぬいぐるみがしゃべったりって話はたくさんあるけど。

くまはいつだって人間にとってのとても身近なともだち。



もうすぐ

ちまちま描いていた、あまつぶのドローイングのまとめできます。もうすぐ?
毎日、とっても眠い。雨のせいかな。寒さのせいかな。
一度凍って、解凍されるみたいな、不本意な状態でめざめてみたい。




2015年4月9日木曜日

野いちごはもうないのです

早稲田松竹でベルイマンの『野いちご』がかかっていたので、あわてて観に行った。
叙情に流されない安定感のある画面の輝きと美しさがベルイマンの魅力。
叙情に流されないといいながらも、奥行きと時空のあいまいさから目眩のように引き起こされる感覚は、ほかの映画にはない独特のもの。
何を語っているのか。大きな問いを投げかけているようで、
何も語ろうとしていない。
この画面から滲み出るような他者(映画)の苦悩は、鑑賞者を引きずり込もうなどという自意識がない。
だから、人生の虚しさが描かれているにもかかわらず、なぜだか暖かいものが残る。
不思議な監督だなあと思う。
おそらくは、その凛とした宗教観によるものだろうとおもうのだけれど。
知らない美しさに出会うことは、なににおいても幸福感を与えてくれる。
野いちごの無垢な存在は、純愛のみずみずしさの象徴のように、苦さに満ちた人生にひとしずくの清涼を授けるも、儚い。

以前、ほんっとうに心が疲弊していて、映画をみることができなかったことがあった。
理由は、目の前であれこれ動くものたちは、実際には「いま」いないから。
乱暴な言い方をすれば、映画を観るということは死んだものを眺めているような感覚だとそのとき思ったのだ。
疲れていた私の心は、生命そのものが放つエネルギーをもとめてた。
あのころ、病んでいたんだなあ。
今はもちろん、映画は命を持ち得ているとおもうし、大好きである。





このところ、打ち合わせ続き。がんばらないと、仕事。
すこしずーつ、すこしずーつ、片付いてます。数週間前の不調が嘘のように。
歩いていれば必ず景色は変わる。だから、生きていなくちゃならないんだなあ。

2015年4月7日火曜日

昼下がりのくま談義

雨あがりの午後にお茶会しました。

作家の多和田葉子さんと、サーカス招聘者であり研究者でもある大島幹雄さんと、三人で。
 
お二人には、不思議なご縁がありました。多和田さんの小説『雪の練習生』のなかに、主人公のシロクマの娘、トスカがサーカスでする芸「死の接吻」の相手、女調教師のウルズラというひとが出てくるのですが。この話、実話なのです。ほとんどの読者はこれが実話だと思っていません(わたしもそうでした)。そして、このウルズラの所属していた東ドイツ国立サーカスを日本に招聘したときの責任者が大島さんだったというのです。つまりは、シロクマのサーカスをフィクションの世界で描いた人と、同じサーカスを現実世界で扱ったひと、との顔合わせ......。
 
とても、楽しかったです。わたしにしてみれば虚構と現実の地平の続く風景を目の当たりにしているような気持ち。
話は大道芸に及び、どうやら投げ銭っていうのは、うまくいけば結構稼げるらしい(やろうかな)。という話でもりあがったり。

大島さんが、この東ドイツのサーカスを船旅しながら寄港のたびに船の上で公演をおこなうっていう実現できなかったプランがあった。というお話をうけて、多和田さんが、もし、その間に東ドイツが崩壊していたら、船の上のサーカス芸人は、帰る国がなくなってずっと船の上で暮らしたんでしょうね。という話をされて。
 
なんだか、クストリッツアの映画『アンダーグラウンド』のラストみたい。ちぎれた陸地が漂流していくのに、楽団がにぎにぎしく演奏を続け、人々は踊り続ける。というシーンが脳裏に浮かんで、うっとりするようなせつないような心地になりました。

この写真は、大島さんがお持ちになった、東ドイツ国立サーカス日本公演のパンフレットのページです。実際のウルズラ・ベッチャーさんとシロクマたちの写真。貴重なとても素敵なパンフレットでした。
 
 








2015年4月5日日曜日

きもちをプレス

ベルリンでワインをごちそうになって以来、三年ぶりくらいにお会いする作家さんに、なにか心のこもった贈り物を.....と考えて、印刷加工連の紙クリップに活版印刷で名入れをしてみました。おもてなしとか、おくりものとか、ってわたしはすごく悩んで悩んで、結局、無難なつまらないところになってしまうのだけど、これはなかなか瀟洒な出来ではないですか!われながら。
ひさびさに組版印刷して、重機萌えも満たされました。
よろこんでいただけるといいなあ。




2015年4月3日金曜日

さくらのかわりに

お花見しようと会ったお友達と代官山でお茶。
お天気悪く花見はしなかったけど桜のカップケーキを。これがとってもおいしかった。
annon cookで。ひさしぶりに会った友達と話すのはなごむ。

その後某ギャラリーの三周年パーティーに向かった。
パーティはひとがたくさん。
たまにはこういう空気も吸わないと。これまたひさびさに会った版画友達のHamaちゃんと、
情報交換。今度、横濱BankArtのスタジオで制作することになったそうで、
オープンスタジオに遊びに行くのが楽しみ。
わたしは最近の制作について、女の子ポートレイトシリーズをなんとしてもはじめたい。
と熱く語ってしまった。
スタンダードな表現のなかでなにか掴みたいというのは、潜在意識のうちにあるのかなあ。

Hamaちゃんのお父上は山伏だったそうで、なんかそのあたりのことを話しているうち、表現とかしないと生きていけない人間って、先祖代々からためこんできた業を洗い流す役割にちょうどあたってしまってるんじゃない?なんて、話になった。そういうのって、自分もちょっとこころあたりがある感覚だ。
人と話すとおもしろい発見がある。

だから、芸術家って(自分がそうであるか、はともかく)、遺伝子の人身御供みたいなものなのかも......





つづく

やっと復活できました。そして日々はつづく。

あいかわらず、やることたくさんだけど、まけないぞ。という気になってきた。
風邪といっしょにわけのわからないもやもやまでデトックスしてしまった?

このbloggerっていうのは、googleが運営しているせいなのか、なんでだろうというくらい、外国からの閲覧がある。

次回の読書会の課題図書担当なので、本屋でいろいろリサーチ。古井由吉の短編集をちょっと立ち読みして、ああ、しみるー。というくらい美文だった。ふむ。やっぱり、美しい文ていい。

ドローイングは「あまつぶあつまれ」。納得いかないけど、病み上がりなのでもう寝なくては。
「画家はまず体力いるんだよね」って、高校生のときの友人のお父様が画家で、当時、個展にお邪魔したときに言われた台詞。そのとき「私には無理だなあ」って思った。それくらい、昔から体力ない。
いまからでも鍛えて臨むか......

いろいろたのしくなってきた。
やっと春に追いつこうという気持ちに。
気持ちばかり気にしても......なんだけど。