2020年9月22日火曜日

Here and Heaven



ヨーヨーマ率いるGOAT RODEO
ちょっと哲学的な深みを持った世界なのかな、
韻のせいもあるのか、私には難解な詩。
移民たちで結成されている故か、
それぞれのルーツを孕んだ
音たちがボーダーレスに駆け回り、
じゃれ合って大地を吹き抜けていくよう。
GOAT RODEOの音楽には、不思議な心地よさがあります。

今日は、お墓参りへ。
北鎌倉から歩いて建長寺前の菩提寺へ、
お参りして、いつものミョウガのお裾分けをいただき、また歩いて鎌倉へ。
途中、老舗店の閉店をいくつか知ることに。
時間が流れていたのを感じました。

Here and Heaven
With a hammer and nails and a fear of failure
we are building a shed
Between here and heaven between the wait and the wedding
for as long as we both shall be dead
to the world beyond the boys and the girls trying
to keep us calm
We can practice our lines 'til we're deaf and blind
to ourselves to each other where it's
Fall not winter spring not summer cool not cold
And it's warm not hot have we all forgotten that
we're getting old
With an arrow and bow and some seeds left to sow
we are staking our claim
On ground so fertile we forget who we've hurt along
the way and reach out for a strange hand
to hold someone strong but not bold enough to
tear down the wall
'Cause we're not lost enough to find the stars aren't
crossed why align them why fall hard not soft into
Fall not winter spring not summer cool not cold
And it's warm not hot have we all forgotten that
we're getting old






2020年9月18日金曜日

colours

オオカミの絵本制作中に、

日本の狼バンド、MAN WITH MISSION聴いてみる。

こんな瀟洒で暖かい曲もあります。

- colours -

https://youtu.be/5VheJULVfNU



 colours

dark red The colour of your blood drawing the wrist
cobalt blue The colour of the sky holding it all
pale purple Umbrella, you keep from me trembling
true orange Everything coloured by the setting sun
chrome yellow You said to me it calls us happiness
moss green The hills of our town which kept us there
scarlet The colour of the children's cheek you loved
snow white It covered every sorrows among us
Colourful world we had been everywhere we're standing
Coloruful world we had lost everything
But you were standing, you were breathing just there
Under that each colours
Every light on the street had meaning of each story
Everyone believed in life day by day
But we would start it, we must start again ourselves
Put on the new colours again
light blond You showed me your calm hair proudly
bright gold The picture frame you always smile at me
silver The carved spoon we bought to start our life
dull grey I dyed all in all after you have gone
transparent The heart of the baby born today
flesh colour Seeing my hand grasped tightly
all black The colour of beginning of new days
deep brown Walking this land we have to go forward
Colourful world we had been everywhere we're standing
Colourful world we had lost everything
But you were standing, you were breathing just there
Under that each colours
Every light on the street had meaning of each story
Everyone believed in life day by day
But we would start it, we must start again ourselves
Go on the road
good bye

2020年8月19日水曜日

蝶とぬるいビール

夏に蝶を見ると、思い出す場面がある。

二十年前の夏のおわりに大好きだった祖母が亡くなった。私と母は、納骨のために祖母の故郷であり、母の生まれ育ったところでもある長崎へ向かった。横浜に住んでいた私たちが長崎に行く機会はほとんどなく、なにかこういうことでもなければ、母ももう長崎には行かなかったかもしれない。

 長崎に親戚は多く、納骨を終えて、わたしと母は三人の叔父と、その従兄弟で長崎県瀬戸に住む濱太郎おじさんを訪ねた。叔父たちも横浜に移り住んでしまっていたので、かなりひさしぶりの参集だったことと思う。

 濱太郎おじさんは長崎の瀬戸で医院を営んでいる。瀬戸には海と山があり、はじめて訪れたわたしはその空と海の青の濃さが不思議でならなかった。ほんとうにこの空は私の住んでいる町とつながっているのか、と。医院はこじんまりとしていたが、レトロモダンなとても好ましい建てものだった。
 母たちと濱太郎おじさんは、子供時代の話におおいに湧いていたが、どことなくその場所には不思議な空気が漂っていた。普段は貫禄があってとがった感じの叔父たちが、なんだかちょっと緊張しているようにみえたのだ。あとで母に聞くと「はまにいちゃんのことが、みんな大好きだから」と言った。濱太郎おじさんは、子供のころから、母たちにとっての憧れのお兄さんだったのだ。叔父たちは出されたビールにあまり手をつけてなかった。グラスはしっとりと汗をかいていた。

 共通の話も持たないわたしは、キッチンの手伝いに行くふりをして、医院のなかをうろうろした。中庭に面した廊下に、細長い引き出しがたくさんついた大きな木製家具があった。一体なにが入っているのか、ついその一つを引きだしてしまった。
 その中には、おびただしい数の蝶の標本が気の遠くなるような整然さで並んでいた。

 濱太郎おじさんは蝶の蒐集を趣味としていたのだ。以前、祖母を訪ねてうちへ来た時も、鞄から組み立て式の虫取り網をだして「いま、なんかおったようで」といって、皆を驚かせた。
 どこへいくにも網を持っているのだそうだ。どこで、珍しい蝶に会うかわからないからということらしい。

 ぬるくなってしまったビールを前にした、おじたちの話は、濱太郎おじさんがおもむろに席をたったことで中断された。
「どげんしたと?」
「いま、蝶の見えたけん」
 濱太郎おじさんは、中庭に面した廊下に立った。
「いや、見間違いか」
「はまにいちゃんは、いつも蝶ば追いかけよるなあ」
「ほんとは、夜の蝶も追いかけとっちゃなかね?」
 一同が笑う。真ん中のおじの常套冗句だ。

 濱太郎おじさんは、おじたちの父親、わたしの祖父の話をした。祖父もまた医者だったので、 自分がどれだけ影響を受けたのかという話をしてくれた。ただその祖父は 軍医として激戦地に赴き、そのまま帰らぬひととなった。一家の主を失ったおじたちは、預金封鎖により一文無しになり、学業そっちのけで働き、祖母を支えた。どれだけ大変だったのだろうと思う。

 わたしはそのとき、やっぱり蝶は中庭にやってきていた気がした。
 蝶は死者の魂を載せているときいたことがある。ゆらゆらと空間を裂いていく蝶は、どこか異界と通じてるようにみえる。あの時の、蝶の幻と、ぬるいビールと、戦争に分断されてしまった少年時代を、恨みごとを押し殺して懐かしむおじたちの姿を、 夏になるとふっと思い出す。
 ひとは美しい思い出を持つ権利がある。だから、思い出したくないことをつきつけるつもりはない。でもだからこそ、無為な哀しい思いをうむようなことに抗いつづけなくてはならない。
きらめく夏はたくさんの犠牲の上にある。









2020年7月29日水曜日

星みる星はこの星の星

多和田葉子著『星に仄めかされて』を読みました。

もともと本を読むのは早くないのだけど、多和田葉子さんの本を読むときはとりわけ遅くなる。

少し読んでは立ち止まって、その言い回しの妙にしばし浸ってしまう。
ついつい立ち止まらせるような表現が、それこそそこかしこにちりばめられているので、

さらさらとさくさくと、噛み下してしまうのはとてももったいない。

そうしてもたもたしているうち、 登場人物たちに翻弄され、アンビバレントな感情のなかに引きずり込まれる。混乱するけれど落ち着いて、冷たいのに暖かく、鋭いのに鈍く、エロティックなのに醒めていて、生真面目なのに馬鹿馬鹿しく、やがて、なにも手渡されないのに、確かなものが残される。わたしの語彙ではとうてい語ることはできないのだけど、それが、なにがしかの本質ではないのか、とふと思う。

星々はどこか微妙な均衡をもって繋がっている。
その星座をたどっているだけなのに、読書の間、幸福感につつまれる。
苦々しい人生のなかで、対話と関係性によってひとは、その身体のなかにときおり甘い風を通過させて生命を維持しているのかなと思う。
そう思わせくれる作家に、なにかとてつもないゆったりとした愛を感じて、やさしい心地になる。
どこかの星をみているわたしもまた星で、瞬いているものだとよいなと思う。



幸福な対話の数々が空洞の空間に存在のない存在として在る。三部作の二作目ということで、次への予告も感じさせる終わり方。早くも続編が待ち遠しいです。

彼らの行く手を早く知りたい。


雰囲気が出るかなと思って、ライトテーブルの上で本の写真をとってみました。


2020年7月26日日曜日

美術館は今日も映えているのか

連休となると、ついそわそわする小市民です。

先日は、東京都現代美術館で開催中、オラファー・エリアソン展へ。

いつからか、美術館では写真撮影がかなり許されるようになりました。
美術館だけでなく、あらゆるイベントで撮影okは多くなり、あからさまに「是非、SNSでシェアしてください」なんていわれることもあります。
口コミの威力が認知されたのでしょうか。
確かに、コストはかからないのに、広告力は絶大というのがSNSの側面のひとつです。
でも、ときおりそれを利用しようとしてたたかれる。なんて、場面にも出くわします。
十数年前には考えられなかった現象ですが、この先また、こんなことが?なんていうことも多々おこるのでしょう。
そういうことにはぼんやり傍観をきめこんでいますが。

美術館は予想よりもずっと混んでいました。
また自粛要請がきたら、確実にメンタルやられるから、政府が二の足踏んでる間に出掛けよう!という心の声が聞こえてきそうです。

気のせいか、お洒落なひと率高し...。
そして気づいたのは、オラファー・エリアソンのキラキラした作品の前で、
記念撮影以上の熱意をもって、撮影しているひと多し。
モデルさんの撮影しているのかと、一瞬おもったほどです。

インスタ....ですよね。

そう、現代美術って、映えるんですね。インパクトありますから。
もう、高層パンケーキなんてあげてもだれも「いいね」してくれませんから。
え、なにそれ?かっこいい。のは美術館。

そういえば、某新聞での企画で、作品とアイドルを撮る「美術館女子」というのがあって、美術や、フェミニズム、各方面からかなりたたかれてました。それは、たたかれるでしょう。って思いましたが、実際に美術館でインスタ用の撮影を熱心にしている女の子たち(きめつけ...)をみていて、それはそれで悪くない雰囲気だな。と、思いました。人間もまた自然の一部ですから、なじむんです。いい空間には。
エリアソンの考察や実験やコンセプトはおいてけぼりですが、
表層を滑降していくことでなにかひとつは拾うものもあるかもしれません。
彼らは観る意外の方法で、作品と交流をしている。わたしなんかよりずっと熱く。

でも、鶴岡政男の「重い手」の前でかっこよくポージングできる女の子ってどれだけいるでしょうか...。
それができるパワーがあるかどうか。
美術はやっぱり、かっこいいだけのものではないですね。パワーのぶつかり合い。
がぶりよつをしてこそ味わえると思います。

で、わたくしも草間彌生作品と撮ってみました。
小市民感があふれてます。まだまだです。




常設展より草間彌生「ドレッシングルーム」

2020年7月22日水曜日

美しい名前

仕事場には、資料が散乱しているのですが、たっくさんの資料があっても、実際の作品のなかにその影響が現れるのは、料理におけるコショウほどの分量。
でも、コショウやら、スパイス大事です。

山水画について確認したかったので、雪舟展の図録をひっぱりだしてみました。
神保町の古本屋で500円で買ったもの。
丁度雪舟に魅了されていた時で、まるでふっと本棚に現れたみたいでした。

東博でやっていた雪舟展は行ってないのです。 そのころ、あんまり興味がなかったので。恐れ多いことですが、雪舟は なんだかまとまりすぎていて、つまらないなあ。と思っていたのです。

けれど、ある本がきっかけで、雪舟を観るようになり、 山水長巻、天橋立図にあらためて魅了されました。
とくに天橋立図は、いわゆるスケッチなので、なんというのか生々しさというか、風景、自然に対する想いがそのまま画面にあふれていると感じます。
そういう感情を詩にできるひと、 絵にできるひと、それをうけとることができるひと。

雪舟の絵には慈愛のようなものがあります。

それは、周文や夏珪などの山水画のマエストロと比べるとわかります。
技術の高さとともにその崇高さが目立つそれらにくらべて、
雪舟は、よりもの静かです。
その静けさが、絵を見ているものの心の静けさへ呼応し、引き起こされます。
静けさが引き起こされるという言い方はおかしいかもしれませんが...。
本当にそういう感じです。心のなかの一番静かな場所を探り当てられてしまうというような。

だから心地いいのかもしれません。

なにより、名前が美しい。
雪の舟
とは。







2020年7月8日水曜日

Dead End in Tokyo

東京を歌った歌は結構ありますが。
最近聴いているのは、これです。
MAN WITH A MISSION日本のロックバンド、
なぜか、みんな狼のかぶりものをしています。
歌は正当派ロックですが、どことなくコミカルな面をもつバンド。
東京はいつも歌のなかで、少し哀しい場所であることが多いです。
多種多様な顔がこちらを刺激してくる。
いつの若者にとっても、そういう場所なんですね。
MAN WITH A MISSION
Dead End in Tokyo
https://www.youtube.com/watch?v=JjIiK9VcIsA

都知事選にはがっかり...。
林文子を選びつづけている横浜市民にはなにもいえないんですけど。
いろいろなことを考えて、結局たどりつくのは「教育」だと思います。
選挙に行かないのも論外だけど、
教育に文化の土壌がないという問題があるかも。
どういう哲学を持って生きているかということがとても大事で、
それぞれが、自分の答えを導きだすには、文化的な知識と素養が必要で、
なにより考える力をつけないと、と思う。
いまの教育は、考える力を奪うようになっているので。


絵本のラフがようやく一段落して、
銅版画の作業に入っています。
絵にはいつも繊細さと大胆さが必要です。
いつまでたっても悩ましい。