この数ヶ月、銅版画から離れていました。ほかの仕事がばたばたして、落ち着いて時間がとれなかったり、紙版画や製本の制作や幾文堂活動のほうがいそがしかったり。けれど、11月のシネマロサでの上映会まで、落ち着いて制作時間がとれそうなので、ずっと保留になっていた連作に集中してとりかかることにしました。銅板にむかってニードルを握っていると、不思議と落ち着きます。
行為自体が、制作自体が、自分のアイデンティティなのでしょうか。やめたら、自分がからっぽになってしまいそうな恐怖(ふとそうなってしまいたい誘惑もありつつ)。だとしたら、ずっと続けていくことが、おおげさにいえば、生きることなのか。
アイデンティティって、状態ではなくて動態なんですねきっと。
それにしても、いつになくディープな世界になりそうな!いいのかな。いいのだ。
来年はこの連作を発表できるようにするつもりです。
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