2020年4月3日金曜日

ストイックでスラップスティックな日々

 なんだか、あっという間に世の中の様相が変わっていった。どこか、特別な場所の特別な出来事でなくて、ここまで世界中のひとが当事者だったことって、いままであっただろうか。連帯感は...ないけど。そのうち生まれるかもしれない。世界中のひとが、ひとつの映画館でウィルスと戦う映画を見たあとみたいに。みんなが喜びあって、スタンディングオベーション 、ハグハグ。幕は降りる。しかし!全てが終わったかと安堵したその時....!ああ、違う、そういうのではなく...。とにかく、うつさないうつらない。しかない。
 
 日常が微妙にゆがんでいくさまは、まるでSF小説のようでもある。
とりわけ、ふざけた政府によるつらめの喜劇というのは、カート・ヴォネガットの小説世界じゃないですか(内容うろおぼえ。たしか、狂った双子のひとりが大統領になるんだった。再読したくなった)。と、愕然としている(そういえばA宰相は、吉本新喜劇に出ておふざけもなさってた)。わたしはこの数日で「愕然」という言葉を少なくとも3回は打ったと思う。ここまでひどいのは、もちろん小説にも漫画にもない。






 京都ギャラリー恵風での展示が終わりました。アートゾーン神楽岡のほうは4月5日まで。装丁の写真は、アートゾーン神楽岡に展示中の意匠替えした本、正津勉『ひとはなぜ山を詠うのか』。山岳詩人たちを中心に、山を詠うこころにせまっている。宮沢賢治は、人々のために経文を山に埋めてあるいたのだとか。人と祈りはいまより近かったのだろうか。

 実は、というかこの数ヶ月、沈みがちで、うつ気味とでもいうのか、こころがばらけたようになってしまっていて、作業がとても辛かった。そのなかで、なんとか京都の展示ができてよかった。こころがまずいかんじのなか、よくがんばったとおもう。やっぱりここがいいのだに。きっともう大丈夫。





 はなのスケッチは、鎌倉のアトリエの前に咲いていた花。はなだいこん、とか、むらさきはなな、とか、いろいろな名前があるみたい。ウィリアム・モリスみたいに、鎌倉の野草花を図案化してみたい。とちょっと思っている。そういうことを考えないと、この非日常をすり抜けるのは難しいみたい。気難しすぎてもつらいし、ふざけすぎてもいけない。すり抜けた先には一面の花模様...いいかも。

 予定していたことが、なかなかすすまないのは、時間よりも気持ちの問題にちがいない。ウイルスに気持ちまでやられてしまうなんて、なんだかしゃくである。
毎日のように、オッフェンバッハの「ジャクリーヌの涙」をきいている。
オッフェンバッハをいいとおもったのって、はじめて。






ギャラリー恵風 展示風景


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