先日、出光美術館で「水墨の風」展をみた。
雪舟と等伯は柱にした展覧会で、まさに『山水思想』松岡正剛著の世界なのだ。
そのなかに長谷川等伯の屏風「松に鴉」が展示してあった。左の白鷺図と双曲の屏風絵である。
美術館の説明書きによると、もともと中国の山水画では叭叭鳥という黒い鳥が吉祥として描かれることが多く、等伯も模写していたのであるが、日本には叭叭鳥が生息していなかったことからなのか、等伯はある時期から鴉を画題にしているのである。
わたしには、このことが単純に、便宜上のこととは思われないのである。
モチーフが叭叭鳥から鴉に至るまでに、画家がうちやぶった薄い扉に関して、思いを馳せずにはいられない。
中国の模倣ばかりしていた山水画の世界に、自己を出現させた瞬間であり、独自の絵画空間を花開かせた選択である。
このことは、画家が絵画という学術から離れて自分の視点にのみを信頼してそこに立脚した瞬間である。中国がどうの日本がどうのというはなしではなくて、個の確立、あるいは個としての表現の確立が革命的になされた出来事のように思う。
このような静かな内的自発による革命は表現をとおして、公にやがて波及していくはずなのであるが、いわゆる外的な力による革命との大きな違いは、その革命によってもたらされる空間が穏やかであるということである。
この絵をみてもわかるように、鴉のいる空間はいかにも穏やかであたたかいのだ。
これは等伯は自然や生き物へのまなざしのありようを素直に物語ってもいる。こういうまなざしを等伯を通してみることができるのは、本当に眼福であると思う。
ごく薄く、向こうが透けているにもかかわらず、誰も開こうとしなかった扉がある。
それを、ときどき開くものが現れる。
そしてその人物は、いつも公と私のあわいですりつぶされようとしながら、「わたくし」を選びとるのである。
等伯の場合、公は狩野派であったということだろうか。
革命というものは個人が、立脚するその場所だけで静かに行われるべきものなのかもしれない。
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