2017年7月14日金曜日

雪舟から等伯まで

松岡正剛『山水思想』は雪舟から等伯まで、水墨画の変化遍歴をたどり、日本美術の歴史を分析していく名著である。まだ、一読に過ぎないので理解が及んでいないところもあるのだが、それまで、なにかもやもやとしていた「日本美術」ことに山水画への理解と憧憬が深まった。
枯山水が作庭を禁じられていたエリアにつくられるようになったという。それは、たとえば、真名に対して、ひっそりと仮名が生み出された必然と同じように、鉢山、盆山水に対応したものだ。

自然に囲まれた古の人々にとってなぜ、胸中山水が必要であったか。それは、思想が自然の摂理を必要とした結果なのだろうか。では、思想哲学は、自然の摂理をどのように「利用」しようとしたのだろう。


日本にかぎっていえば、温暖で四季豊かであるいっぽう、地震や台風などの災害がひっきりなしに生活をおびやかしてくる。このダブルバインド的な地形と気象が思想に与える影響もかなり大きいはずである。


明治維新以降、透明な囲いのなかで植民地化していった日本が美術史をひもとくだけで見えてくる。安富は、明治以降、日本人は日本語を捨てている。といっている。今使われている日本語は、教育的な言葉であって、生きた日本語ではない。言語が仮に、危機管理を主な役割しているものだとすると、日本人は、精神的危機を察知する能力を捨て去って、そのアンテナをなにかにそっくり託すことで生きていこうとする道を自ら選びとった、あるいは巧みに選び取らされたのかもしれない。



ネガの発明がいつも文化的思想的に推進力をもっていた。発展というべきか、技術の向上というべきか。
今現在の日本では、なにをネガにするべきなのだろうか。
コマーシャリズムもおたく文化も、そのネガの小さな顕在化だったと思う。
が、まだこれから、大きくあらわれなければいけない、虚空があるはずなのだ。
ネガの想像力による空間には、力による支配から完全に離脱する道があるはずなのだ。




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